青柳 蓉子
(東北大学文学部)
著者は朝日放送テレビ制作部のプロデューサーである。
著者が企画・制作した娯楽番組の一つに『探偵!ナイトスクープ』がある。この番組は1988年3月に始まり、「視聴者からの依頼にもとづいて、『この世のあらゆる謎や疑問を徹底的に究明する』ことをモットー」(本書16ページ)にしている。番組は現在(2002年2月)でも続いている。
1990年1月、この『探偵!ナイトスクープ』で「大阪では『アホ』、東京では『バカ』というが、アホとバカの境界線はどこか調査してほしい」という投書が取り上げられた。それが発端となり、番組制作の中で「アホ」や「バカ」に相当する全国各地の方言の収集が行われた。調査方法は、視聴者からの情報を募るやり方と、全国市町村一斉アンケートである。
この調査の結果は最終的に『探偵!ナイトスクープ』の「アホ・バカ分布図の完成編」としてまとめられた。「アホ・バカ分布図の完成編」は1991年5月24日に放送され、日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞(1991)、ギャラクシー賞選奨(1992)、ATP賞グランプリ(1992)を受賞した。
1991年秋、著者は朝日放送社内報『あんてな』編集部からアホ・バカ方言(注1)に関する連載を依頼された。そのため「アホ・バカ分布図の完成編」制作が終了した後もアホ・バカ方言の研究を続けた。
本書は、著者が約三年間にわたって調査・考察した成果を、時間の経緯に沿ってまとめた「率直なドキュメンタリー」(本書12ページ)である。
著者のアホ・バカ方言の調査は第一期と第二期に分けることができる。第一期は1990年から1991年5月の「アホ・バカ分布図の完成編」放送までの期間、第二期は「アホ・バカ分布図の完成編」が放送された後の調査期間である。
第一期における調査は番組制作のためのものである。当初は視聴者からの情報提供のみに頼っていたが、この方法では情報量の地域差が出たり、情報量がそもそも少ないなど限界があった。そのため「アホ・バカ分布図の完成編」制作では、全国市町村の教育委員会への第一次アンケート調査(回収率42%)も実施した。アンケート回収率の少なかった地域には、電話による調査も行った。
「アホ・バカ分布図の完成編」放送後(つまり第二期のはじめ)、著者は感謝の意をこめて全国市町村役場に第一次アンケート調査の報告書を送った。そのさい、第二次アンケート用紙を添えている。この第二次アンケートは、アホ・バカ方言から発展して、形容詞・形容動詞・副詞の項目を二百から三百ほど立てて質問しているものである(回収率については記載がない)。このアンケートの結果は本書の「エピローグ」で簡単に述べられている程度である。
著者は言語地理学の考え方で論を進めている。言語地理学は言語学の一つの分野で、言語の地域差を地図に示し、分布状態からその言語的特徴の発生や伝播の過程を推定する学問である。
方言語彙の分布の姿は多種多様だ。佐藤[2:72]によると、全国に分布するものと特定の地域にしか分布しないものに大きく分けることができるという。前者にはいくつかの典型的な分布パターンが知られている。佐藤[2:57−82]と都染[3:68−81]を参考に以下に示す。
こうした分布の成立には、次の成因が考えられている。
著者は第一期の調査で数百に達するアホ・バカ方言を集めた。そのうち「アホ・バカ分布図の完成編」では主な23語のみをとりあげているが、本書では全国に散在する表現や少数派の表現についても考察している。
著者はアホ・バカ方言が全国的に周圏的分布を描いているとし、その分布を周圏論によって説明している。本書の文庫カバーの裏に載っている「全国アホ・バカ分布図」を見ると、近畿は「アホ」の地域で、その周りを近い順に「ノクテー」「アヤカリ」「アンゴウ」「バカ」「アホウ」「ウトイ」「トロイ」「タワケ」「ボケ」「ゴシャ」「コケ」「テレ(デレ)」「ダボ」「ダラ」「ホウケ」「タクラダ」「ホンジナシ」「フリムン(沖縄のみ)」の分布が、まるで波紋のように広がっているのが分かる(注2)。
著者は周圏分布の様子と文献を参考に、それぞれの言葉の成立時期や語源も特定している。つまり、前述のすべてのアホ・バカ方言はもともと都の言葉であること、都から遠い位置に分布しているアホ・バカ方言が最も古い表現で、近畿に近い位置に分布しているアホ・バカ方言ほど新しい表現であると述べている。具体例を挙げると、東北の「ホンジナシ」と南九州の「ホガネー」はどちらも「本地なし」が訛ったものであり、「本地なし」の成立時期は平安末期であると著者は結論付けている。
この研究で最も特徴的なのはその調査方法だ。全国の市町村役場にアンケートを送るという調査方法は、大勢の人手と豊富な予算を使えるというマスコミの長所を生かしたと言っていいだろう。
逆に本書ではマスコミの短所も垣間見ることができる。アホ・バカ方言の調査はもともと番組制作を目的としていたため、調査期間が非常に短かった。アンケート調査にしたのは番組のスタジオ収録まで二か月余りしかなかったためだったことが書かれている(本書62−63ページ)。そのため、被調査者の条件(年齢、性別など)は一切考慮されなかった。
そうしたことはテレビ制作上の制限だと思われるので、ここでは深く言及しない。それ以外で批判すべき点を次に示す。
本書では実際のできごとの記述とアホ・バカ方言の考察が入り混じっている。参考として第五章から第七章でアホ・バカ方言の考察の記述がある箇所を列挙すると次のようになる(数字はページ数)。
第五章……248−277 「バカ」の考察 293−300 方言分布成立時期に関する考察 第六章……307−314 「タクラダ」「タクラ」「タレ」の考察 315−323 「アンポンタン」「アホンダラ」の考察 324−344 江戸のアホ・バカ表現「バカ」と「ベラボウメ」 345−369 近世上方のアホ・バカ表現「バカ」「アハウ」「アホウ」「アホ」 第七章……376−403 「バカ」の考察 404−454 「アホ」の考察
このように見ただけでも、「バカ」と「アホ」の考察は他の方言語彙の考察によって分断されている。さらに、こうしたアホ・バカ方言の考察を、実際のできごとの記述(日本方言研究会での発表、さまざまな賞の受賞、大阪の天神祭のことなど)が分断しているのである。
そのため、文章が読みづらい。おそらく著者は思考の過程を「正確に」記述したのだろうが、それは読者を混乱させるだけではないだろうか。
著者は『探偵!ナイトスクープ』の「アホ・バカ分布図完成編」を制作するさい、方言地理学の入門書を読み、「周圏分布」という分布パターンと「方言周圏論」という理論を知った(本書70ページ)。本書では「方言周圏論」や柳田國男の『蝸牛考』に関する説明が70ページから84ページまで続いている。
1.1の注2でまとめたように、言語地理学には周圏的分布以外にもいくつかの典型的な分布パターンがある。ところが、本書では周圏的分布と周圏論のこと以外はほとんど言及がない。他の分布パターンに関する記述をしている部分は次の文章だけである。
方言には、さまざまな分布のパターンがあって、たとえば日本アルプスや鈴鹿山脈を境に、その東西に言葉が対立する場合がある。きびしい自然の障壁が日本を東西に分断しているのである。(本書70ページ)
それにもかかわらず、本書「あとがき」では「ひとつは表現が東西対立する分布の成り立ちもまた、基本的に方言周圏論で説明できるのではないか」(本書487−488ページ)と主張している。
しかし、本書は言語地理学に関する十分な知識を提示していないため、その意見が妥当かどうか読者には判断できないはずだ。その上すべての語彙が周圏論で説明できるかのように読者が受け取ってしまう可能性がある。
著者が第一次アンケート調査の回答(本書85−96ページに記載)が戻ってくる前に、周圏的分布パターンと周圏論をアホ・バカ分布図に応用しまっていることも問題である。
この時点で著者は視聴者から提供された情報しか持っていなかった。その非常に少ない情報をもとに、著者は「こうした考え方を、『全国アホ・バカ分布図』に応用してみるとどういうことになるだろうか?」(本書75ページ)と、早くも周圏論で説明しようとしている。その後、著者は「この結論に向けて、番組全体をまとめ上げていかなければならないと考えた」(本書77ページ)。のちのアンケート整理のさいには、アホ・バカ分布図が周圏論で説明されることを前提にしてしまっている。
これは学問的な姿勢とは言えない。著者がこのように短絡的になってしまったのは、番組制作の時間がなく効率的な作業をする必要があったからである。とはいえ、アンケートを回収しアホ・バカ方言の分布図を完成させてから、その分布の様子を見てどの分布パターンに当てはまるか判断し、その分布成因を考える、というのが筋であるはずだ。
本書には柳田國男の話がしばしば登場する。ここで柳田國男の『蝸牛考』と「方言周圏論」について、日野[4:183−186]と柴田[5:496−513]を参考にまとめておく。
「方言周圏論」は柳田國男の刀江書院版『蝸牛考』(1930)の中で初めて登場する言葉である。「方言周圏論」は柳田の造語だが、その考え自体はヨーロッパの言語地理学から取り入れたらしい。
『蝸牛考』の内容は以下のようなものである。「蝸牛」すなわち「カタツムリ」を表わす方言は、京都を中心に「デデムシ」「マイマイ」「カタツムリ」「ツブリ」「ナメクジ」の順で周圏的分布を描いている。日本列島が北東から南西にのびる細長い島でなければ、「カタツムリ」を表わす方言は京都を中心に同心円を描くはずである。これは、「カタツムリ」を表わす方言がすべて京都で生まれ、周辺へ伝播していったことを表わしている。
「方言周圏論」はその登場がはなばなしかったため、二つの点で誤解された。すべての方言語彙が「方言周圏論」で説明できると思われたことと、周圏的な伝播の中心はいつも京都であると考えられたことである。柳田は「方言周圏論」が絶対的な原則だとは言っていないし、京都以外の伝播の中心も考えていた。のちに周圏的分布を示さない方言語彙があることを根拠に柳田は反論されているが、これは反論になっていなかったという。
「カタツムリ」を表わす方言が五重の周圏的分布を示すことは、国立国語研究所が1957年から1964年にかけて調査しまとめた『日本言語地図』の第五巻の「かたつむり」の図で証明されている。また、柳田は自らが調査した32語の方言のうち「カタツムリ」しか分布図を示すことができなかったが、『日本言語地図』全六巻に収められた285語の方言語彙のうち周圏的分布を示すものは「かたつむり」を含めて76語ある。こうしたことから、現在では「方言周圏論」は方言分布を説明するいくつかの原則の中の一つとして有効であると考えられている。
2.2で、周圏的分布パターンと周圏論が本書70ページから84ページにかけて紹介されていると述べた。しかし、その大半は柳田の『蝸牛考』の説明で終始している。
この部分の文章を読むと、著者がいかに柳田の「方言周圏論」に魅せられたかよく分かる。著者は、晩年の柳田が「方言周圏論」批判を受けて「『あれ〔方言周圏論〕はどうも成り立つかどうかわかりません。すべての単語が同じように京都を中心に波紋のように拡がった……そういうことはいえないですからね』」[5:506]と発言しているのを知る。そして、「こんな弱気な柳田発言は撤回されるべきだ〔……〕『全国アホ・バカ分布図』こそ、方言周圏論の厳然たる有効性を、改めて明確に世に示すものではないか」(本書84ページ)と張り切った。
著者の意気込みは的外れである。1.1の注2や2.4.1でまとめたとおり、周圏論は一つの理論としてすでに確立している。「方言周圏論」の「厳然たる有効性」は、国立国語研究所の『日本言語地図』ですでに「世に示されて」いる。つまり、「弱気な柳田発言は撤回」されているのである。
本書「エピローグ」は1992年に岩手県久慈市に行ったときのエピソードだ。著者は久慈市で祭りの鑑賞と「ホンズナスの遥かな旅」と題した講演会を行っている。
著者はこの「エピローグ」の中で「方言はすばらしい」と繰り返し、「方言周圏論」によって東北人の方言コンプレックスが解消されることを述べている。方言が「国中のあこがれを集め続けた遠い昔の京の遺風」で「世に誇るべき、由緒正しき日本語」(本書478ページ)だからだという。著者は久慈市での講演中に「会場のひとりひとりの表情が、いつ知らずにこやかで生き生きとしたものに変わっているのに気が付いた」と描写している。
だが、「方言周圏論が方言コンプレックスを解消する」と言うには問題が二つある。
一つ目は、すべての方言語彙が周圏論で説明されるわけではないということである。著者はすべての方言が周圏論に当てはまることを証明したわけではない。したがって、すべての方言が「遠い昔の京の遺風」だと断言できない以上、著者の主張は成り立たない。
もう一つはその論理である。著者は方言が古い都の言葉だからといって恥じることはないと言うが、この論理の背景には「中央=流行」と「周辺=流行遅れ」という対立構図がどうしても潜んでしまう。
確かに方言を恥じる必要はない。しかしそれは、方言語彙が「遠い昔の京の遺風」だからでも「由緒正しき日本語」だからでもない。日常生活の言葉である限り、私たちは方言を恥じないのである。
著者は第二次アンケートの結果、「とくに形容詞に関しては、アホ・バカ分布図に準じるかのように、京都を中心とする多重の周圏分布を広げていた〔……〕五重以上の同心円の数は、もはや当たり前のことだった」(本書472ページ)と述べている。第二次アンケート結果について述べているのはこの四、五行のみで、他には「疲れた」「みにくい」「かわいそう」の分布図が載っているだけである。
これだけでは著者の主張を信用するには足りない。そればかりか無理に周圏論に当てはめたのではないかという印象を読者に与え、逆に信用性を失う可能性もある。
本書が「率直なドキュメンタリー」であったことは、良かったとも悪かったとも言える。
まず良かったというのは、研究論文と違って平易な文章で書かれているので親しみやすいという点である。それは、多くの人に日常の言語を見つめなおす視点を提供することができるということである。
悪かった点は、実際のできごとと専門的な知識の記述が入れ混じって分かりにくくなってしまっていること、エッセイのような文章であるために論理的整合性の追求が甘いことだ。それが、著者は「研究」と称しているのに、文庫カバーの紹介文には「研究」の二文字が一回も使われていない理由だろう。
本書の前半はテレビ番組制作の裏舞台の話がふんだんに盛り込まれている。それを読んで面白く思うか不愉快に思うかは人それぞれだろう。私は複雑な気分になった。一通の投書がきっかけで全国的な調査に発展するダイナミックさは素晴らしいと思う。その一方で、「視聴者に方言周圏論をしっかりと脳裏に刻み込んでもらえるよう」(本書96−98ページ)という一文を読んだとき、マス・コミュニケーションにおける発信者側の思考回路をのぞいたような気がした。
1)本書には「アホ・バカ方言」「アホ・バカ表現」といった言い方が出てくるが、いずれも『「アホ」「バカ」に相当することば』を指す。ただし、「アホ・バカ方言」の方は共通語との対比が強調されるが、「アホ・バカ表現」はそうした意味合いを持たないため、古典文献を調べるときなどには「アホ・バカ表現」という言い方がされることが多い。
2)北海道と東北北部三県に分布している「ハンカクサイ(半可臭い)」は、伝播の仕方が特殊だったので、成立時期と分布が比例していないと著者は考えている。
Created: 2002-04-02. Updated: 2002-04-03. Sorry to be Japanese only (encoded in accordance with MS-Kanji: "Shift JIS").