青柳 蓉子
(東北大学文学部)
私が「男性がスカートをはくこと」に関する議論として参考にしたのは、「週刊ファッション情報」 (http://www.fashion-j.com/ 2002年3月29日閲覧)というサイトの中の、「男性がスカートをはくことについて」というBBSである。男性が女装や目立つためではなく、ファッションとしてスカートを着用することをどう思うかという問題がテーマになっている。このBBSに寄せられた様々な意見を分類すると次のようになる。
(1) 肯定派 [理由]……a似合っていればいい。 bファッションだからいい。 c民族衣装としてスカートを着ている地域もあるからいい。 d男女平等の時代だからいい。女性がズボンをはいているのだから 男性もスカートをはいていい。 (2) 肯定はするが抵抗あり派 [理由]……e現代日本は、女性しかスカートをはかないという 文化だから、抵抗感がある。 (3) 否定派 [理由]……かっこ悪い。 →なぜ「かっこ悪い」か……f男らしい人は似合わない。男性の体型に似合わない。「ス カート=脚を見せる」ものだから。
このうち、 (1) の肯定派が圧倒的に多い。それは、このサイトにアクセスする人はファッションに敏感な人が多い、という傾向が関係していると思われる。「肯定=理解がある」「否定=偏見」という雰囲気があり、否定的意見は書き込みにくそうだった。一般社会では (3) の否定派はもっと多いだろう。
BBSの議論における肯定または否定の理由は、それぞれ説得力があるように思われる。また、「男性がスカートをはくこと」に関する意見として考えられるものは、すべて出揃っている、と私は判断した。そこで、上の分類に沿って話を進めることにする。
前述のBBSの議論は2001年2月10日に問題提起されたものである。しかし、最近になるにつれ新しい意見が出なくなっている。1.1で挙げた分類より深い議論がされていない。
この議論が深いものにならないのはそれぞれの論拠が薄弱であるからだ。
1.1で挙げた肯定/否定意見の理由は、一見すると説得力があるように見えるが、論拠としては意味がないものが多い。それは、性別によってズボンとスカートをはき分けるようになった歴史的背景の考察がなされていないからである。
まず、 (1) の肯定派の論拠では、aとbは主観的であり説得力がない。cは論点がずれている。ここで問題となっているのは「洋服のスカート」であるからだ。またdの「男女平等」は「女性がズボンをはく」理由にはなるが、「男性がスカートをはいてもいい」理由になっていない。これは後ほど詳しく説明する。
(3) のfは「スカートは女らしい」ものだから「スカートは女性だけの服である」という考えだ。しかし歴史の流れを見ると、正しくは逆であることが分かる。「スカートは女性の服だけである」という決まりができ、そこから「スカートは女らしい」という意識が現れたのである。「男らしい」「女らしい」という価値観は初めからあったわけではない。
つまり、論拠として説得力を持つのは、 (2) のeだけなのだ。ではなぜ、「女性しか洋服のスカートをはかない」という文化が形成されたのだろうか。
はじめにスカートとズボンの世界地図を見ておこう。
まず、極端に寒いところ(グリーンランド、北方カナダなど)は男女ともズボン、極端に暑いところ(ミクロネシアなど)は男女ともスカートである(村上 1987:III 105−106)。気候によって服飾が制限される例だ。
村上(1987:III 106−109)は、女性の着用に関しては、スカートとズボンは大雑把に西と東に分かれることを発見した。ヨーロッパでは女性はスカートをはくが、アジアでは女性はズボンをはいているという。具体的には、ペルシャ、トルコ、アラビア、アフガニスタン、ベトナム、朝鮮、中国、インド、ビルマ、タイ、台湾は、女性はズボン型の衣服を身に付けている。
こうした東西の違いは古代の衣服の基本形に由来する。服装の歴史をさかのぼると、原則的に、アジアでは男女ともズボン、ヨーロッパではスカートで始まっているという。それは、農耕文化のアジアは植物繊維を、牧畜文化のヨーロッパは獣皮毛皮を最初に使い始めたため、と村上は推測している。
2で述べたように、古代ヨーロッパの衣服の基本形は男女ともスカートだった。しかし、時代の推移とともに、男性はズボン、女性はスカートというようにはき分けられるようになった。さらに、女性のズボン着用を要求する運動や世界大戦を経て、現代では洋服のズボンは男女両方、スカートは女性専用である。ここでは洋服のスカートとズボンの性別対立について考える。
スカートとズボンの対立に限らず、基本的に服飾には性別分化が認められる。小川安朗による「性別対立の原則」の解説を以下に引用する。
服飾の性別分化は基本的な区分で、原始服飾においてすでに認められ、以来服飾の変遷の経過のなかで、あるいは極端な対立を示したり、あるいは近接の状態になったり、ときとしては両性同装の場合も生じたり、また性別服飾が逆用されたり(男性の女装、女性の男装)、いろいろの状態を示していることが明らかである。
──小川安朗(1979:43)
クロマニョン人の洞窟画・岩壁画では男性と女性が服飾の違いで描き分けられていること、発掘されたヨーロッパ青銅時代の被服類が男子用と女子用で違っていたことなどを挙げ、服飾の性差が非常に古い時代から始まっていることを小川は証明している(小川 1981:236−241)。
男女ともスカートをはいていたヨーロッパで、いつどのようにズボンが発生したのか。なぜズボンは男性でスカートは女性なのか。村上(1987:III 110−121)の考えを要約すると以下のようになる。
ヨーロッパにズボンが生まれたのは、アジアのズボン型を輸入したためである。その正確な時期は不明だ。しかし、紀元五世紀ごろには風俗としてズボンが現れるため、少なくともそれ以前に取り入れられただろう。
ヨーロッパでズボンが定着したのは、ズボンがスカートより機能的だったからである。しかしヨーロッパにズボンが取り入れられた頃、すでに父権制社会が成立しており、女性は男性に従属を強いられていた。男性は活動的なズボンをはくようになったが、女性に対し活動的なズボンをはくことを許さなかった。つまり、女性にとってスカートが唯一の服装となった。このように村上は考えている。
「ズボン=男性の服」「スカート=女性の服」という図式ができると、スカートには性的な「記号」が付随するようになった。一言で言うと「女らしさ」である。スカートは初めから女らしかったわけではない。「女らしさ」は後から貼られた男性側の価値観なのである。
さらに、スカートは「女性のシンボル」(朝日新聞文芸部編 1973:175)、または「ズボンは自由、スカートは不自由のシンボル」(駒尺 1985:195)となった。アメリカ・ヨーロッパの女性が公然とズボンをはき始めるのは第二次世界大戦後である(村上 1987:D235)。もちろん、戦後も女性がズボンをはくことに批判があった。
スカートやズボンにこのような「記号」が付いたりシンボル化したのは、女性の地位と深い関係がある。女性の地位は服装と結びついていた。女性の地位が低い男性優位社会では、女性の服装が男性の欲望を満たす目的で変化してきたのである。一般に、女性の地位が低下すると服飾の性別対立が顕著にあらわれるという(小川 1981:243−244)。
村上(1987:III 117−120)は、例としてヨーロッパの支配階級における服装の変遷を挙げている。男性の装飾は上半身、女性の装飾は下半身に集中するという対照的な歴史的傾向が見られるのだ。男性は上半身は着膨れしても、足はぴったりした股引で活動性を保った。女性の場合は、男性の欲望を満たすため飾るのだから、細いウエストと大きなスカートという非常に動きにくい服であっても受け入れざるをえなかった。村上は明示していないが、小川(1981:243−244)によれば、この対照的な服装の傾向は西欧中世後半(15世紀)から近世(19世紀中期)にかけて顕著だったという。
一方、駒尺(1985:198−206)は現代のスカートの特徴を通して男性優位社会を分析している。第一にスカートは無防備で動きにくい。これは服従の表示であり、媚態・誘いの表示でもある。第二にロングスカート以外は露出性が高い。「女の足=見せ物」という(男性の)意識が社会一般に広がっているためである。つまり、女性はスカートを通して貞節と煽情性という相反するものを男性から求められているという。ヨーロッパにおいて男性がズボンをはき始めたとき女性にズボンを禁じたのは、スカートの方が性差別や性支配をするのに有効だったからだ、と駒沢は述べている。
小川安朗は、服飾の性差が発生する基本的な原因は、「両性の生理的・構造的な差異に基づく生活分担の相違」(小川 1981:235)であるとしている。具体的には、「原則として、女性は家居のための静的・保守的・迎合的で寛容・装飾的な服飾、男性は実働の動的・進出的・対抗的で緊縮・実質的な服装となる」(小川 1981:236)。しかし、これらはあくまで原則である。小川安朗は、服飾の性別は絶対的なものではないことも述べている。
両性の基本的体型は同一であって、〔……〕男性用の服飾も女性にも着装可能であり、その逆もまた可能である。相違するのは男性用・女性用と区別して慣用する概念の差であって、したがってこの区別は、概念の変更によっていくらでも転換することができるものである。時代の推移により、慣習の変化により、機能上の必要により、服飾の性別変換はいくらでも起こり得るわけである。
──小川安朗(1981:246−247)
これに村上や駒尺のような考え方を加えると、スカートは差別的・非活動的な衣服であり、「男女平等の時代」にはスカートは消滅するのではないか、と思えてくる。実際に村上はそのように考え、端的に表現している。
男の支配する父権制社会で、男はスカートをはけなかったのではない。はきたくないからはかなかったのだ。ところが女はズボンをはきたくなかったのではない。はくことを男が許さなかったから、はけなかったのである。〔……〕現在ユニセックスの時代なら、服装のユニはスカートではなく当然ズボンでなければならない。
──村上信彦(1987:D236)
この文章は1970年12月29日の新聞に掲載されたもので、私が参考にした文献に収録されていた。今から30年前の文章である。この30年で女性の地位や権利はずいぶん向上したはずだ。しかしスカートが消える兆候はない。代わりに、男性がスカートをはくことについて議論がされている。
村上の論理には足りないものがある。スカートは「おしゃれ」だ、という意識だ。「男性がスカートをはくこと」のBBSで、男女問わず肯定派の多くは、男性服は女性服よりファッションの幅が狭いことを書き込んでいる。特にスカートはバラエティに富んでいて、「おしゃれ」だという。確かに、スカートの方がズボンよりはるかに色、形、種類が多いと私も思う。スカートが「おしゃれ」だという意識がある限り、スカートの差別性は影が薄くなるだろう。
女性はファッションに敏感だ、という言葉をよく耳にする。しかし、だからといって男性がファッションに鈍感なわけではない。選択肢が少ないためだ。従ってファッションの選択肢の多い女性の方が敏感に見えるのだろう。女性ファッションの選択肢を広げているのは主にスカートである。スカートを手放せばファッションの幅も狭くなる。私は女性がわざわざファッションの選択肢を狭めるような行為に出るとは思えない。
BBSの書き込みを読んでいくと、男性が男性としてスカートを着用する理由には「おしゃれ」が多い。肯定派の意見の中に「似合っていればいい」「ファッションだからいい」が多かったのは、「おしゃれ」が男性がスカートをはく理由だからだろう。
しかし、いったん衣服に付いた「記号」は簡単に取れるものではない。古代ヨーロッパでは男性もスカートをはいていたことを誰もが知っているわけではないし、スカートの差別性は一般的に意識されているわけではない。それほど「スカート=女性服」という考え方は自明なのである。私達は初めて会う人の性別を判断するとき、スカートを判断材料にするときがある。スカートをはいていれば必ず女性と判断する。つまり「常識」なのだ。「似合っていればいい」「ファッションだからいい」という理由で男性のスカート着用が認められることは、ありえないだろう。
私は、男性がスカートをはくようになることは考えられるが、現時点では可能性は低いと思う。1.1で挙げたように、BBSの中で「女性しかスカートをはかない文化だから、男性のスカートには抵抗がある」という意見があった。まさにその通りである。しかし、「文化」や「常識」は変化するものである。洋服のズボンは男性しかはかないものであるというのが昔の「常識」だった。その「常識」が変わったのは、世界大戦という歴史的要素も無視できないが、女性がズボンを要求する理由が説得力を持っていたからである。男性のスカート着用をめぐる議論も、「メンズスカート」のイメージを明確に示すことができなければ、無意味なものに終わるだろう。
BBSの議論の中に、「袴はフレアスカートみたいなもの」とか「キモノはワンピース風である」といった意見があった。私が参考にした文献にも、和服に言及しているものが多かった。しかし捉え方は様々である。このレポートでは洋服のスカートとズボンに焦点を絞るため、和服については全く触れなかった。そこで、以下にそれぞれの文献における解釈と私の意見を述べることにする。
小川は、「強いてあげれば男子の和服の裾も、すべて両足を同時に包纏したスカート型式である」(1981:250)という。村上は「日本でも室町期以後、袴は男のシンボルとなった。ただ〔ヨーロッパと〕ちがうのは、日本では女の地位の低下につれて徐々に袴が女らしくないものになってゆき、女みずからふさわしくないと感ずるようになって袴を捨てた」(1987:III 121)と述べているが、和服に対しスカート型・ズボン型という分類は行っていない。また、「袴=男性のもの」、「キモノはスカート形式である」とし、「袴をはいた武士はスムーズにズボンをはき、キモノだった女性はやがてスカートをはきだした」という解釈もある(朝日新聞学芸部編 1973:177−178)。
ところで、現代において必ず和服を見ることができる機会がいくつかある。成人式と卒業式、およびホテルや旅館に宿泊したときだ。成人式では、女性は振袖、男性の場合は数は少ないが羽織袴である。卒業式には袴をはいた女子学生がいる。ホテルや旅館には浴衣が用意されているはずだ。しかも浴衣は男女同型である。袴はズボン型、キモノはスカート(ワンピース)型と分類することはできるが、その分類が何を示しているかを知るには、日本の服飾史をたどってみなければならない。
私は、洋服と違って和服の性別対立はスカート型とズボン型の対立という形で表れたのではない、と思う。和服における性別対立を考える際重要なのは、「動きにくさ」あるいは「締め付けの程度」ではないだろうか。駒尺(1985:209)によると、B・ルドフスキーの『キモノ・マインド』には、女性のキモノは「拘束服にタイトスカートといった組み合わせ」と要約されているという。キモノは男女ともスカート型だが、女性のキモノは男性のキモノに比べると、帯が大きく胸部を締め付けるようにきっちり巻く。そのためキモノを着た女性は動きづらくなり、歩くとき小股になる。その姿は「女らしい」。洋服と和服では、性別対立は別々の次元で現れたが、女性服が非活動的であるという点で共通していると言えるだろう。
草稿の段階で両親から的確な批評を受けた。感謝したい。
Created: 2002-04-03. Updated: 2002-04-03. Sorry to be Japanese only (encoded in accordance with MS-Kanji: "Shift JIS").