遠藤 清佳
(東北大学文学部)
この記事は、著者が公共の図書館のありかたについて批判したものである。著者は、最近書店で本の売り上げが落ちている原因は公共の図書館であると述べ、それは図書館が「無料貸本屋」と化しているからであると捉えている。図書館が刊行されて間もない本を何冊も購入して何度も繰り返して貸し出すために、本来なら書店で売れるはずの本が売れなくなってしまうというのである。このような「無料貸本屋論」を述べているのは著者だけではない。同様の意見は書店の団体や出版状況について憂える人々からも出されている。
図書館が「無料貸本屋」化する原因は、図書館の本の蔵書状況にある。著者は、ある東京都区内にある公共の図書館を例としてあげている。その都区内の図書館10館では、それぞれある時期にあるベストセラーを多数ずつ所蔵していた。具体的な状況は次のようなものである。
本来なら実際より多くの人がこれらの本を書店で買うはずであった。しかし、図書館がこれらの本を無料で何度も繰り返して貸し出したために、読者は本を買わなかった。著者は、このようなことが原因となって書店の売り上げは減少したと考える。公共の図書館が商売に良くない影響を及ぼすことはあってはならないというのが著者の意見である。
しかし、図書館側は意図的に書籍販売に影響を与えているのではない。図書館がある本を多数買い揃えて貸し出すのは、利用者の要求に沿うことを重要視しているからである。利用者はブームになっている本を借りようと図書館に押し寄せる。するとその本の貸し出し予約は一杯となり、利用者からはもっとその本を増やして欲しいという要望が出てくる。図書館は利用者の要望に答えようと同じ本を何冊も買い揃えるのである。著者はこのような図書館側の事情を理解している。しかし、図書館にとって大切なことは必ずしも利用者の要求に応えていくことではないと主張する。
著者は、図書館があるベストセラーを多数買い揃えることによって良くない状況に陥るのは書籍販売だけではなく、図書館事体も好ましくないが状況に陥ると述べている。それは、ある特定の本を多数購入することによって、他の本を購入するためのお金を圧迫するという状況が生まれるということである。ベストセラーでなくても地味で目立たない良書はたくさんある。しかし、読者の一時的なブームに合わせて特定の本を多数購入すると、それらの目立たない本を購入する余裕がなくなる。その結果、蔵書の幅は狭くなってしまう。図書館は、あまり読み手のいない本を読もうとする利用者のことも考えて選書しなければならない。
著者は、図書館が「無料貸本屋」化する原因は図書館利用者の本に対する考え方にあるとし、最近「本は図書館に行って読むもの」という捉え方をしている人が多いのではないか、と指摘する。「本は本来自分で買って読むものであって、借りて読むものではない。」「借りてきた本で読んだ知識は借り物の知識に過ぎない。」のである。本来なら本は買って読む、つまり著作者、出版する人などにきちんとお金を払って楽しむものである。しかし、本をタダ読みしようとする人はそのようなことを全く考えていない。
著者は、人々が本を購入しなくなったのは金銭的なことが原因になっているとは考えていない。現代は、昔のように本の値段が恐ろしく高いわけではない。現代は本の値段が相対的に安く、フリーターの日当でも標準的な本なら何冊か買えるはずである。著者は、本当に本が読みたければ他の出費を節約して本を買うべきであると述べている。
図書館の「無料貸本屋」化を防止するために、著者は次のような提案をしている。まず、図書館がブームに流されることなく様々な本を偏りなく集めるために、しっかりした選書委員と熟練した専門司書を置くこと、各図書館で1つの本の所蔵する数を3冊以内に制限すること、また、刊行後90日間は一切貸し出しをしないことを法で規定することである。そして最低限、ある本を何十冊も備えて繰り返し貸し出す時には、一冊一回貸し出すごとに利用者から印税相当分、出版物使用料を徴収する、または書店が図書館に本を売る時には一般の客に売る値段よりも高く売るということを実行するべきであると述べている。
この記事には、図書館の利用者至上主義への警告という点では納得できる。公共の図書館が必ずしも利用者の要求に沿って運営されれば良いというわけではないという考えは妥当である。しかし、納得しにくい点もある。著者は、図書館がベストセラーを多数購入して何度も繰り返して貸し出すということだけではなく、利用者が本を借りて読むということ自体を否定している。その点に関しては納得できない。本を借りて読むということが悪いとは思えない。
本を書いて売る側の人々は、自らの本の売り上げが一番伸びる可能性のある時期に何度もタダで貸し出されることについて不満を持つかもしれない。しかし、本はもともとある程度はタダで読まれてしまうという性質を持ったものなのである。津野 (2001: 13) は、「本が商品であり、出版する側はお金を受け取って読者にそれをみせる。しかし、それと同時にそのかなりの部分はただで見せる、ある種の文化資財、公共財産でもある。」と述べている。本は、世の中に出て行けば多くの場面でタダ読みされてしまうという運命なのである。そのような事実があるにもかかわらず図書館で本を借りることに対して批判する筆者の態度には、自分の立場中心という雰囲気が漂っている。
図書館の利用者は、なぜ本を借りても買わないのだろうか。それは本を読む多くの場合において、その本は一度サッと読めば十分であるという場合がよくあるからである。その場合、わざわざその本を買わなくても、借りて読めば十分である。世の中で毎日膨大な数の本が出版されている。読んでみたいと思った本を全て購入することは不可能である。充分なお金とそれを所蔵する場所が必要であるからである。著者は自らが本を買うのに充分なお金と本を多数収蔵するのに充分な場所をもっているからこそ、「本は買って読むべきだ」と言えるのではないだろうか。
また、著者の主張への疑問として、本当に図書館が書籍の売り上げ減少の原因になっているかどうかがはっきりとされていない点があげられる。確かに出版書籍の販売金額は近年減少し続けているようである。出版科学研究所の調査によると1995年から2000年まで7.45パーセント減少しているという。しかし、本当に本が売れない原因は図書館にあるのだろうか。
本が売れない原因としては他にも様々なことが考えられる。世の中全体が不況であること、人々が本を読まなくなったということ、出版の中心が雑誌中心になったこと、「ブックオフ」のようなリサイクル書店がたくさんできて読者が本を買わなくなったということ、インターネットの普及などが考えられる。図書館がどれだけ影響を及ぼしているのかということは明らかにされていない。
図書館関係者からは、図書館が書店での書籍の販売に良い影響を及ぼすという意見もある。尾下(1889: 44)は、「図書館を敵視するのではなく、無料のショールームだと考えれば、こんな恰好の宣伝媒体はない。」と述べている。確かに、図書館で本を読んで気に入った人は同じ本を自分で所有したいと思い、それを買うはずである。もし、本当に図書館である本を読んだ人がその本を買わないとすれば、その本が一度しか読む価値のない、自分でも所有したいと思うほどの魅力はない本と判断するからだろう。
この記事は、新しいブームを求めて急速なスピードで動いている世の中に公共の図書館が流されていくということに対して警告を発している意味で重要である。図書館は、多くの人が読みたがる、ブームになっている本を読む利用者だけのためにあるのではないからである。また、出版業と直接関係のない一般市民が気付かないことを気付かせるという点で重要である。一般市民は、図書館で本を借りて読むということが批判されるとは考えないと思う。また、図書館があるベストセラーを多数購入していること、それを良く思わない人々がいること、それらの本はブームを過ぎたらどこに行くのかということについても考えることはないと思う。それよりも、自分がすぐに読みたいベストセラーが順番待ちでなかなか手に入らない時、「なぜ図書館はもっと多くの人が読みたいと思っているその本をたくさん購入しないのだろうか。」と思う。そのような人々にとって、この記事は衝撃的である。
しかし、著者の意見に素直に納得することは難しいのではないだろうか。著者自らは作家であり、自分の著作物についての印税が順当に入ってくることを望む立場にある。著者の意見はどうしても本を執筆して印税を受け取る側の意見という感じがする。
しかし、確かに図書館でどのように著作者の権利を扱っていくか、ということについてはよく考えなければならない。図書館では本を借りるだけではなく、中身を簡単にコピーすることもできる。本の著作権の問題は、本自体が「ただで見せる」という側面をもっているからこそ気付かれないことが多い。一般市民もこの問題に敏感になる必要があることを、この記事は示していると言える。
Created: 2002-04-09. Updated: 2002-04-10. Sorry to be Japanese only (encoded in accordance with MS-Kanji: "Shift JIS").