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http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2021/1st/
田中重人 (東北大学文学部准教授)

人文社会序論「現代日本学入門」

課題について解説 (第8回 日本学の方法論 (4))


[配布資料 (PDF版)]

課題1について

複雑な事柄について考えるときには、まずこまかく分割してみる、というのが基本的なテクニックです。今回の課題はその定石のひとつで、多くの社会問題はこの4つの要素に分割することができます。

課題1: 文章中に出てくる A--D (あるいはA'--D') の分類について、分類のそれぞれに名前を付けるとしたら、どのような名前が適切でしょうか。

答えは決まっているわけではなく、たとえばつぎのような名付けかたができます。

A でいう「事実」(fact) には、ある事件が過去にあったかどうか、というような1回限りの歴史的な命題もありますし、多くの人々の行動を集計したときに特定の傾向がみられるか、というような統計的な命題でもかまいません。自然に関すること、たとえば天動説は正しいかとか、エルニーニョ現象が起きると暖冬になるか、といったような命題もAにあたります。

B は、Aのような事実そのものではなく、その 真偽 について人がどのように認識しているか(perception) を問題にするものです。たとえば「昨夜雨が降った」かどうかについて、「降った」と認識するか「降らなかった」と認識するか、といった問題です。これは、実際に雨が降ったかどうかという事実の問題とは別のもので、実際には降っていたけれどもそれを知らない、ということが起こりうるわけです。また、「降った」「降らなかった」だけではなくて、「わからない」「たぶん降ったと思う」「降ったんじゃないかな」など、さまざまな答えがありえます。

C の「価値」(value) については、ここでは 善悪 の評価の基準となるもの、あるいはその基準に基づいて下した判断のことを指しています「価値基準」「価値判断」といった言いかたで区別をつける場合もあります。また、善悪以外に、好悪や美醜などについての評価をふくめることもありえます。

D の「規範」(norm) は、人々 (あるいは各種団体や政府など) の行動を制御する仕組みをあらわしています。通常、「○○すべき」(あるいは○○してはならない) という指示と、それに従うよう促す誘因と、違反に対する制裁が組み合わされています。法律や各種の規則のほか、漠然と人々が従っている不文律のようなものもふくみます。

A--Dは、大きくふたつにわけることができます。 AとBがひとつの組で、CとDがもうひとつの組です。前者と後者のちがいは、善悪に関する判断をふくんでいるかどうかということですね。 AとBは、ある事実が存在するかどうかと、それが人々に認識されているかどうかを問うもので、善いか悪いかには関係しません。それに対して、CとDにおいては、善いか悪いかが問題の焦点です。

ある社会に存在する何らかの事実 (A) について、それが何らかの価値基準 (C) に反していると評価されている状態を、「社会問題」といいます。そのような評価ができるなら、その事実についての何らかの認識 (B) があるはずです。そして、社会的な事実というのは、結局のところは人々の行動によってつくりだされるものですから、それは規範 (D) によって制御されており、その規範を変えることによって人々の行動を変えていけば問題を解決できる (価値基準に反しない状態に変更できる) 可能性があるわけです。

社会問題の解決の別のありかたとしては、価値のほうを変えてしまうという方向もありえます。価値というのは人々の考えかたによって決まるものですから、それが現実を正当化するようなかたちに変化してしまえば、もうそこには問題はないことになります。


社会システムとその変動

私 (田中) は大学・大学院で社会学専攻にいたので、基本的に社会学の考えかたに沿って物事を考えています。特に「社会システム論」(social systems theory) や、その応用としての「社会変動論」(当時流行っていたのです) に大きな影響を受けています。

「システム」というのは、互いに関係しあう多数の構成要素が集まって全体としての機能を発揮するようなもののことをいいます。機械とか生物とかがそうですね。社会というのは、機械のように実際に分解して部品にわけるようなことはできないものではありますが、やはり多数の構成要素が関係しながらつくりあげられているもので、社会全体として何かの機能を果たしているとみなすわけです。個人や、個人が集まって作る集団・組織や制度などが社会の構成要素ということになります。それらが互いに影響をおよぼしあっている結果として、社会のなかでいろいろな事実が出現するわけです。そして、個人や集団がどのような行動をとるべきか/とっていいかを決めているのが規範である、ということになります。

もし完全に安定的でまったく変動しない社会というものがあるとすれば、そこでは人々はずっとおなじ規範の下でおなじような行動を繰り返していくことになります。しかし実際には、社会は変動します。特に近代以降の社会においては、短い期間で規範も行動も大きく変動してきました。また、その変動の方向性には、多くの社会に共通した特徴がみられます。

たとえば、私が子供だったころには、公共の場での喫煙を禁じる規範はありませんでした。交通機関や公共施設も禁煙であることはあまりなく、学校でも職員室で煙草を吹かす教師はめずらしくありませんでした。ところが、その後急速に状況が変化して、現在では多くの場所で禁煙のほうが原則になり、喫煙可能な場所のほうがめずらしくなってしまいました。子供のときにはあたりまえだったことが、大人になるころには全然あたりまえでなくなっていたわけです。日本だけでなく、多くの社会で同様の変化がみられます (どのようなかたちで禁煙が広がっていくかにはかなりのヴァリエーションがありますが)。

このような社会変動は、最終的には社会全体の規範や多数の人々の行動の変化としてあらわれますが、それを引き起こすのは、個々の人々や集団・組織などの行動です。たとえば禁煙を求める人々の運動とか、煙草の健康への影響を研究する科学者、各種施設や公共交通機関の管理者や経営者、官僚や政治家など、さまざまな人の行動が集積した結果として、喫煙に対する制限が増えてきました。

社会システム論では、社会には内部の構成要素の自主的な動きによって自分自身を作り変えていく「自己組織性」(self-organization) の仕組みが備わっているのだと考えます。社会変動というのは、この仕組みが発動して、規範や行動が変更されていく過程といえます。この自己組織性の仕組みは、社会学の重要な研究対象のひとつですが、これに関する研究の蓄積については、佐藤 (1998) の2章などを参照するといいでしょう。


社会運動

社会変動を目指して意図的におこなわれる行動のことを「社会運動」(social movement) といいます。社会運動がどのような経過をたどって意図を実現していくのか (あるいはそれに失敗するのか) というのは、社会の自己組織性を考えるうえで重要な研究テーマです。

社会運動を展開する人々は、ある社会問題について特定の認識を持ち、各自の信じる価値に基づいて規範の変更 (およびそれによる行動の変容) を目指します。しかし、彼らの行動が目的をすんなり実現できるとは限りません。社会にはいろんな立場の人がいて、それぞれに認識も価値もちがいます。たとえば、煙草の煙が健康被害をもたらすから喫煙を禁止すべきと訴える人がいたとしましょう。これに対しては、認識がまちがっている (煙草は健康に影響しない) とか、健康よりも喫煙者の嗜好の自由のほうが価値がある、などのような反論が可能です。そうした反論を支持する人は、喫煙が禁止されることを阻止したいわけですから、禁煙運動に対抗する社会運動を起こすでしょう。

ですから、社会運動においては、認識や価値が多くの人に共有され、社会の中での支配力 (hegemony) を獲得することが重要です。対立する立場の人々がそれぞれお金や人脈や知識などの資源を動員して運動を繰り広げ、自分たちの認識や価値を世の中に広げようとして争うことになります。そのように考えると、社会運動の成否は、まずそれを支える認識と価値を広められるかどうかにかかっています。もっとも、彼らの認識と価値が認められても、それにしたがって個別の規範を変更することにはさまざまな利害が絡みます (たとえば公共の場での喫煙を禁じる法案に対して煙草製造会社がどう対応するかを予測してみましょう)。また、規範を変更したからといって人々が行動を変えるかというと、そうはいかないことも多いです (煙草の場合だと、習慣性とか依存性の問題がありますね)。


課題2について

課題2 (各自の興味のある事柄について、 A--D の分類に沿って、4つの命題を作ってください) については、みなさんそれぞれ工夫して書いていたと思います。上記のような「事実」「認識」「価値」「規範」の4側面を何らかのかたちで反映した4つの事柄が、一貫性のあるストーリーで理解できるように書いてあれば、それでOKです。

注意しておくといい点としては、「認識」「価値」は厳密にいえばひとりひとりちがうのだ、ということですね。実際には、私たちはコミュニケーションを通じて認識や価値を互いに調整しているので、完全にバラバラになるということにはならず、ある程度の範囲内におさまります。特に、その社会での支配的な認識や価値は、多くの人がそう思っているから支配力を発揮するわけです。そういう部分に着目するなら、社会全体で共有されている単一の認識や価値があるように見えることになります (そういうものを指して「世論」といいますね)。ただ、そうはいっても、全員が完全におなじことを考えている状態にはならず、支配的な考えかたを共有しない少数派 (minority) が常に存在します。そうした少数派が力をつけていく過程で、社会運動が起きるわけです。

また、地域・年齢・性別など、属性によるちがいがみられることもよくあります。北海道、東北、関東……などの地域にはそれぞれちがう地理的・歴史的背景がありますし、大都市圏と小規模な都市、農村・漁村などの間には、政治的・経済的・文化的にみてさまざまな差異があります。若者と高齢者では生活の条件がずいぶん異なりますし、女性と男性の間にもいろんなちがいがありますよね。属性によって、ちがう「事実」に直面することがありますし、行動を制御する「規範」もちがったものが通用していたりします。こうした差異についてきちんと調べて、属性によってどんなちがいが生じるか考えることも、社会を研究する上での重要な論点です。


課題3について

課題3 (資料の内容について、質問や意見があれば書いてください) は、書いてくれた人があまりいませんでした。ここでは、全員向けに説明したほうがよさそうなものだけとりあげます。

データの収集とその規模

データを集める際はどのように集めるのでしょうか。質問紙調査法とありますが、それは調査対象者に郵送などで送ったり、街頭でアンケート記入をお願いするような形なのでしょうか。

「街頭でアンケート」は、ふつう使うことはありません。郵便で送る (そして郵便で送り返してもらう) 方法のほか、対象者自宅を訪ねてその場で聞き取ったり、調査票をわたして記入を依頼しておいて、後日再訪問して回収する、といった方法が伝統的なものです。最近は、ネットで答えてもらう形式のものが増えてきています。

データ分析と収集の方法は、質問調査法による大規模調査法以外にどのようなものがあるのでしょうか。

質問紙調査以外に社会学でよく使う方法としては、

などがあります。最近では、SNSなどのコミュニケーションを記録して分析する方法や、公開の文章を電子的に大量に収集して分析するなどの方法も発達してきています。

大規模調査は大勢が集まってチームで行いますが、それでも内容や規模によってかなり時間がかかると思います。先生が今までされてきた大規模調査は、調査計画の段階から結果の集約が終わるまで、どのくらいの期間がかかりましたか。

これは「調査」というものがいつ始まっていつ終わると考えるかによります。明確な研究計画ができて、それにしたがって人と資金を集めるところから、データが分析可能になってそれに基づいた報告を出せるところまで、と考えると、だいたい3年から5年くらいと思います。ただ、計画が明確になる前の段階から何年間もかけて準備を始めているのがふつうですし、いちおう報告を出せるようになってからも分析はつづくので、そこまでふくめると10年以上ですかね。

今回取り上げた離婚の研究は日本家族社会学会の「全国家族調査」(NFRJ) によるものですが、この調査は5年ごとにおこなっています。このため、前回のプロジェクトがまだつづいている間に、並行して次回調査のための準備作業プロジェクトを立ち上げていたりします。

資料の2ページに「人口の5%くらいが離婚経験者だとすると、1万人の調査対象者の中に、500人くらい入ってくることになります。それくらいの人数があれば、統計的な分析にじゅうぶん使えるのです。」という部分がありますが、これは調査対象者1万人のうち500人が離婚経験者だと、「人口の5%くらいが離婚経験者である」ということと割合が大体同じになるから「じゅうぶん使える」ということでしょうか。それとも、割合ではなく人数の多さのほうが重要なのでしょうか。

「人数の多さ」のほうです。この辺りの話は、統計的検定における「検定力」(power of statistical test) の問題として知られているもので、厳密に検討すると結構ややこしい (永田 2003) のですが、大枠だけ説明すると、つぎのような感じになります。

無作為抽出による n 人対象の調査から得られる統計量 (たとえばある事柄を経験した人の割合) は、ある特定の確率で起こる事柄を n 回おこなった際に、その事柄は合計何回観察できるか、ということとおなじだと考えることができます。たとえば、硬貨を投げたときに、表が出るか裏が出るかは、どちらも 1/2 の確率です。 100枚同時に投げたとすると、平均的に見て、そのうち50枚くらい表が出ると期待されますが、それよりもかなり多く出たり、少なく出たりすることもありえます。これは偶然によるので、場合によっては、100枚すべて表が出ることも、1枚も表が出ないことも、ないとはいえません。

このような確率現象は、二項分布というものを使って予測することができます。それによると、100枚の硬貨を投げたとき、表の出る枚数が46以上54以下になる確率は約0.63です。つまり、期待される枚数の50にくらべて、10%以上はずれた値が出る確率が、0.37程度あることになります。ここで、投げる硬貨を400枚に増やすと、表が出る枚数の期待値は200になりますが、この期待値にくらべて10%以上はずれた値 (つまり180以下または220以上) が出る確率は、0.03未満まで減ります。

全国から対象者を無作為抽出して調査したときの誤差も、これと同様に計算することができます。 400人の対象者を集めて何か (たとえば正規雇用についているか、とか) を調べた場合、日本全国における真の値 (「母数」といいます) からの誤差を、0.97以上の確率で、10%未満に抑えることができます。社会調査をおこなう研究者の間では、誤差がこの程度なら実用上じゅうぶんな精度がある、ということが共有の基準となっています。このような考えかたに基づいて、離婚経験者を対象とした分析をしたいなら、そういう回答者を400人以上集められるように調査の企画を立てるわけです。

離婚増加の原因

40年前に比べて離婚率が上昇している要因にはどういったものがあるのでしょうか

離婚率は戦前にはかなり高く、戦後にいったん下がってから、1970年代以降に再上昇しました (国立社会保障・人口問題研究所 2021: 表6-8, 表6-11)。この上昇が今まで続いて、今日の離婚率は高い状態になっているわけです。

歴史的な変動はさまざまな要因が複雑に絡みあって起きるため、この離婚率上昇の原因について決定的なことをいうのはむずかしいのですが、つぎのふたつが有力な説明とみなされていると思います。


文献


課題 (2021-06-03 授業)

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