remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

メディアと専門家が修正する歴史 (2): 尾身茂「飛行機の中で感染したという例は、今のところ一件も報告がありません」(文藝春秋9月号)

3月23日神戸-那覇便クラスター

10月23日、国立感染症研究所の雑誌『病原微生物検出情報』に、神戸空港から那覇空港への飛行機 (3月23日) で発生したとみられるCOVID-19集団感染の報告が掲載された。

2020年3月26日, 〔那覇市保健所〕管内の医療機関からCOVID-19確定例(#1)が届けられた。症例は管内在住, 発症日は3月23日であった。3月20日から空路で関西地方へ渡航し, 3月23日に帰宅した。
〔……〕
#1に対して, 「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要綱(令和2年3月12日版)」に基づき調査した結果, 濃厚接触者を, 同居家族と復路(関西地方A空港から那覇空港へのB便, 飛行時間約2時間)の搭乗者とした。#1の同居家族の1名が26日に熱発しPCR検査を実施したところ, 28日に陽性と判明した。B便の搭乗者(客席数177席, #1を含め乗客乗員計148名)に関しては当初, 前および左右2列を濃厚接触者とし, 27日に航空会社から対象者の氏名と連絡先を入手した。28日に連絡がとれた濃厚接触者3名中2名が発熱を呈していたため, 居住する自治体へ情報提供しPCR検査を依頼した。なお, これらの濃厚接触者によると, #1は機内で激しい咳をしていたがマスクは未着用であった。当該2名が, ともに陽性と判明したため, 4月1日に調査対象を前3列, 後1列, 左右2列へと拡大し13名に連絡をしたところ, 連絡のついた10名中3名が発熱等の症状を訴えていた。その後, うち2名がそれぞれの居住自治体で陽性と診断された。さらに2日には, C県より同県の確定例について, B便を利用し, 3月23~28日の旅程で沖縄を訪問していた旨の情報提供があった。そこで, 国立感染症研究所(感染研)に助言を求め, 接触者調査の対象を左右および後列3列まで拡大した。連絡がついた9名中2名が発熱等の症状を訴えたため, それぞれ居住自治体へ対応を依頼し, いずれも陽性と診断された。さらに, 調査対象外であったが, 対象者の代理として連絡がついたB便搭乗者が発熱しており, 後日PCR検査で陽性と判明した。このため, 再度感染研に助言を求め, 乗員乗客全員へ調査対象を広げた。最終的に調査対象141名のうち122名に連絡がとれ, 沖縄県を含む7府県に居住する計14名の確定例が確認された
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豊川貴生, 速水貴弘, 瑞慶山躍司, ほか「航空機内での感染が疑われた新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) のクラスター事例」(国内事例) 国立感染症研究所『病原微生物検出情報』41(10): 187-188. https://www.niid.go.jp/niid/images/idsc/iasr/41/488.pdf

https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/9930-488d01.html

文章が複雑でわかりにくいが、経過をまとめるとつぎのようになる。なお、当時の報道 (下記参照) から、A空港は神戸空港、C県は岡山県、と推定できる。

  • 3月26日、A空港から那覇空港への飛行機 (3月23日) を利用した人物 (#1) がCOVID-19に感染していたことが判明
  • 同便の乗客のうち #1 の前・左・右のそれぞれ2席ずつを「濃厚接触者」として調査し、うち2名の感染を確認
  • さらに #1 の前3列、後1列とそれぞれの左右2席の乗客を調査し、うち2名の感染を確認
  • C県から、同機を利用した別の乗客 (2人?) の感染が確認された旨の連絡があったので、調査する座席の範囲を、右に1列、後ろに2列拡大し、2名の感染を確認
  • さらに対象外の座席の乗客からも感染が1件確認されたため、乗客と乗員の全員に調査対象を拡大し、さらに感染者 (4人?) を確認
  • 最終的に、14人の感染を確認
  • 感染者は、沖縄県、C県など7府県にわたる

機内の座席配置については、報告記載の図2を参照。


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豊川貴生, 速水貴弘, 瑞慶山躍司, ほか「航空機内での感染が疑われた新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) のクラスター事例」(国内事例) 国立感染症研究所『病原微生物検出情報』41(10): 187-188. https://www.niid.go.jp/niid/images/idsc/iasr/41/488.pdf
図2

https://www.niid.go.jp/niid/images/iasr/2020/10/488d01f02.gif

調査の終了日は不明ではあるが、大勢は4月上旬には判明していたであろう。当時の報道としては、つぎのようなものがみつかる。

県は1日、早島町に住む岡山市職員の50代男性が新型コロナウイルスに感染したと発表した。
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「新型コロナ 岡山市職員感染 50代男性、勤務の図書館休館 /岡山」毎日新聞 2020年4月2日地方版 (岡山県)

https://mainichi.jp/articles/20200402/ddl/k33/040/327000c

 岡山県で新型コロナウイルスの感染が確認された患者2人が、沖縄行きの3月23日の航空便で、感染が明らかになった那覇市在住30代男性と乗り合わせていたことが2日、分かった。同県は2人が「機内で感染した可能性がある」とみている。2人の感染を受け、市保健所は2日までに機内で30代男性と乗り合わせた搭乗客の健康観察対象を当初の周辺6シートから41シートに広げる方針を決めた。
〔……〕
2人とも3月23日に神戸空港経由で那覇空港に到着した。50代男性は沖縄滞在中の26日から食欲不振や倦怠(けんたい)感、頭痛などを感じていたという。滞在最終日の28日は38度台の発熱が出たため、岡山に戻った後に医療機関を受診した。
 娘は無症状だったが、同県が50代男性の濃厚接触者として検査。
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「沖縄行きの機内で感染か 新型コロナ陽性の岡山の父娘 30代の男性感染者と同乗」沖縄タイムス 2020年4月3日 09:23

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/555514

岡山県の発表では、50代男性は10代の娘と、3月23日の航空便で神戸空港経由で那覇空港に到着。沖縄滞在中の26日に食欲不振などを感じたという。

 沖縄滞在最終日の28日から頭痛やせきがあり、岡山県内に帰宅後、感染が判明。2人は、既に感染が明らかな那覇市在住の30代男性と同じ航空便に乗っていた。岡山県は機内感染した可能性があるとみている。

 3日までに50代男性の10代の娘、同居の妻の感染が判明。30代男性は、那覇市在住の30代女性への二次感染が明らかになっている。
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「沖縄県職員、「機内で感染」の岡山親子から家族感染か 新型コロナウイルス」沖縄タイムス 2020年4月4日 04:52

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/555968

当時の報道は、このように地方紙あるいは全国紙の地方版に載った記事が数件ある程度だった。自治体からの情報も、それぞれのケースについての通常の報告がなされるにとどまっており、全国的には報道されなかったようだ。

しかし、飛行機で14人規模のクラスターが発生したことや、調査する対象を当初わずか6席の範囲の乗客だけに絞っていたために大規模な感染をあやうく見逃しかけたこと (岡山県が独自に感染者を発見していなければ、たぶん14人中5人しかわからなかったはず) など、COVID-19対策を指揮する政府や専門家には伝わっていないとおかしいのである。実際、6月にアメリカCDCの雑誌 Emerging Infectious Diseases サイトで公開された、日本のCOVID-19クラスター事例の論文 では、飛行機での感染例が3月の22-28日の週に発見されたと報告されている (https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200705/answer#paper 参照)。遅くとも6月には、この情報は専門家の間で共有されていたとみてよいであろう。

尾身茂「飛行機の中で感染したという例は……報告がありません」

さて、8月7日に発売の『文藝春秋』9月号 (98巻9号) に新型コロナウイルス感染症対策分科会会長・尾身茂による記事が載っている。

 この半年あまりの間で明らかになった疫学情報によれば、新型コロナの伝播が起きるのは、夜の街やライブハウス、小劇場など、基本的には密集、密接、密閉の「3密」プラス「大声」の状況下に集中しています。
 これに対して、新幹線や飛行機の中で感染したという例は、今のところ一件も報告がありません。つまり、旅行先で「3密+大声」の場に足を運ばない限り、旅行そのものが感染を広げることはないと私たちは考えています。
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尾身 茂「緊急事態「再宣言」はありうる:コロナ分科会は何に迷い、どう判断したか」『文藝春秋』2020年9月号 (=98巻9号): 116-123

https://bunshun.jp/articles/-/39523

これは明白な嘘である。上記のように、飛行機で感染したという報告は、すくなくとも13人についてあがっていたはずだからである。だから、「飛行機の中で感染したという例は、今のところ一件も報告がありません」という発言はおかしい。もし「この半年あまりの間で明らかになった疫学情報」にこの件が反映していなかったのだとすれば、情報がまちがっていたか、不正に操作されていたかである。

また同日に、「文春オンライン」サイトに、尾身氏へのインタビュー記事が載っている。

手がかりになるのは、これまでに蓄積された疫学データだ。

「伝播が起きるのは、夜の街やライブハウス、小劇場など、基本的には密集、密接、密閉の〈3密〉プラス〈大声〉の状況下に集中していて、新幹線や飛行機の中で感染したという例は、今のところ1件も報告がありません。

 つまり、旅行先で〈3密+大声〉の場に足を運ばない限り、旅行そのものが感染を広げることはない、と考えています。一方で、東京が全国各地の感染の“出発点”となっており、特に夜の街から飛び火している、という認識は共有されていたのです」
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広野 真嗣 「「帰省は慎重に判断を」コロナ分科会・尾身茂会長が独自取材で吐露した“迷いと苦心”: “政府の追認機関”との批判もあるが…」文春オンライン 2020-08-07

https://bunshun.jp/articles/-/39538?page=2

『文藝春秋』誌の尾身記事はこのインタビューを元に書かれたものだと思うが、インタビューのほうも、「飛行機の中で感染したという例は、今のところ1件も報告がありません」という事実に反する内容である。

そこで、同サイトのコメント欄から、つぎのように書き込んだ。ちょっとぶっきらぼうな感じになっているのは、分量の制約 (500文字) にあわせて、いったん書いた前置きなどを削除したためである。

3月23日の神戸-那覇便の飛行機で13人が感染したことが報告されています。
この件の詳細が発表されたのは10月23日の国立感染症研究所『病原微生物検出情報』 https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/9930-488d01.html ですが、飛行機でクラスターが発生したという情報はアメリカCDCのサイトに6月10日に載っています: http://doi.org/10.3201/eid2609.202272


4月当時には新聞でも報道されていました: https://mainichi.jp/articles/20200402/ddl/k33/040/327000c


尾身氏がこの情報を知らなかったはずはありません。
本当に「飛行機の中で感染したという例は、今のところ1件も報告がありません」と発言したのでしょうか?
仮にそういう発言があったのだとしても、この情報は事実と異なるものですから、訂正記事を出すか、注釈を加えるべきと思います。
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『文春オンライン』サイトのコメント欄から 2020-10-30 21:35 ごろ投稿

https://bunshun.jp/articles/comment/39538

投稿から6日経過したが、コメントは未だ掲載されていない。

隠蔽される歴史

この種の問題――専門家が適当にしゃべった内容をメディアが検証なく流すことで歴史が偽造される――は、日本のCOVID-19対応のことだけを考えても、すでに多数の例がある。このことは、3か月前の記事「メディアと専門家が修正する歴史:4月の感染拡大は帰国者のせいか」でもとりあげた。

こういう疑問点は、取材した記者がその場で突っ込むことのはずだ。専門家会議の座長に話を聞きにいく以上、これまで出してきた文書は事前にチェックしておくべきもの。その内容が頭に入っていたのであれば、「3月17日以降の水際対策が感染拡大防止に重要であったという今の発言は、5月29日「状況分析・提言」に記載の実効再生産数の推移と矛盾しませんか?」といった反問がその場でできないとおかしい。この要求はきびしすぎるのだとしても、実際に記事を書いてみれば、つじつまがあっていないのは、上でみたようにあきらかである。なぜそれがそのまま公開されてしまうのか。
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田中 重人「メディアと専門家が修正する歴史:4月の感染拡大は帰国者のせいか」(2020-07-19)

https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200719/import#media

もっとも、今回の「飛行機クラスター問題」では、まず政府と専門家の情報公開のほうに問題があった。当該の飛行機での感染について、全体像が把握できるような情報は、発生から7カ月の間伏せられていたのである。関連する報道は、4月当初に散発的な記事が地方紙等に載っただけだった。かかる状況では、「飛行機の中で感染したという例は……報告がありません」という嘘をメディアがチェックするのはなかなかむずかしい。なにしろ、まとまった情報がないのだから。

実際、飛行機での感染のリスクをとりあげた記事はこれまでたくさん出ているのだが、ざっと検索してみたところ、この3月23日の感染事例に触れた記事はひとつしかなかった。

2020年3月23日に神戸発那覇行きの機内で2人への感染が濃厚な事例があった。飛行機の場合、搭乗した便はもちろんのこと、座席もすべて個人特定が可能なため、陽性者が出た場合に感染経路をたどることが比較的容易だといえるが、これまでのところ国内ではクラスターが発生していない。もっとも自粛期間中は飛行機の利用客が少なく、空席が多かったことも一因だろう。
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橋賀 秀紀「飛行機は最前部か最後尾の窓側を選ぶといい訳:機内の「折り畳みトレイ」の感染リスクに注意」東洋経済ONLINE 2020/07/16 8:10

https://toyokeizai.net/articles/-/363043

おそらく、上記の沖縄タイムスの記事などをチェックして、「2人への感染〔の疑い〕が濃厚な事例」があったことにたどりついたのだと思う。そこまではよかったのだが、その先の情報は探せなかったのだろう。「これまでのところ国内ではクラスターが発生していない」というまちがった結論に達している。また「飛行機の場合、搭乗した便はもちろんのこと、座席もすべて個人特定が可能なため、陽性者が出た場合に感染経路をたどることが比較的容易」というのは、これ自体は認識としてまちがってはいない。しかし上の 『病原微生物検出情報』の報告 からわかるように、実はほとんどの搭乗者は積極的疫学調査の対象にならない。調査されるのは、前の席、前の前の席、左の席、左の左の席、右の席、右の右の席のわずか6人の乗客だけである。離れた座席で多数の人が感染していてもみつけられない仕組みになっている。

とはいえ、これはかなりマシな取材能力が発揮された例である。もっとひどい例はいろいろある。たとえば8月15日の日本経済新聞の記事「新型コロナ「正しく恐れて」 わかってきた特徴と対策:チャートで見る感染再拡大」では、何の根拠も示さずに「飛行機での集団感染事例は聞かない」と言い切っている。その前に「厚生労働省クラスター(感染者集団)対策班が米疾病対策センター(CDC)の科学誌に公表した論文は、1~4月に国内で発生した61のクラスターを分析した」と書いており、この論文 の61のクラスターのうちのひとつがまさに3月23日の神戸-那覇便クラスターなのだが、読まずに記事を書いたのであろう (https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200815/nikkei 参照)。

政府や専門家が情報を隠したり、つじつまのあわない説明をしたりするのは、いまにはじまったことではない。当ブログでも、これまで 産科・婦人科・生殖医学専門家による改竄データ とか 労働時間等総合実態調査のデタラメさ加減 とか 毎月勤労統計調査の数値捏造 とかをとりあげてきた。こうしたフザけた姿勢が許されてきてしまったのは、変なことを言っても誰も突っ込まず、責任も問わないという状況のせいではないか。

COVID-19に関しては、「クラスター対策」はいわば目玉であったにもかかわらず、クラスターでの感染は感染者全体の何%を占めるのか、クラスター対策でみつけられないクラスターはどれくらい存在すると推定しているのか、といった基本的な情報がほとんど出てこないというすさまじさである。特にメディアの方々には、こういう問題点をきちんと予習して情報収集しておき、ボケに対して必ず突っ込むという基本的なコミュニケーション原則を守っていただきたい。もちろん、尾身分科会会長に対しては、なぜ「飛行機の中で感染したという例は、今のところ一件も報告がありません」という嘘をついたのか問いただすべきである。そして、3月23日神戸-那覇便クラスターの情報がなぜ隠されていたのか、飛行機で感染が疑われた事例がいくつあってどのような調査手順が適用されていたのかなど、当然出てくるべき情報を吐き出させる必要がある。