remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

森を見なかったのは誰か:「積極的疫学調査要領」をちゃんと読む

要約

厚生労働省「クラスター対策班」設置以来、日本のCOVID-19対策は、小規模な感染の見逃しを許容しながら大規模な集団感染を重点的に発見する「クラスター対策」を中心に据える所に特徴があると公式に説明されてきた。しかし、実際の「積極的疫学調査」の方法を指示する調査マニュアルを読むかぎり、小規模な感染より大規模な感染の発見を優先せよというような指示はない。むしろ、調査をおこなってきた現場では、小規模であるか大規模であるかにかかわらず、すべての感染連鎖を管理下におくことを目標とする建前で「クラスター対策」を展開してきた。もっとも、実際にすべての感染連鎖を調査することは不可能であるため、調査の現場では、対象となる「濃厚接触者」の範囲をきわめてせまく限定することにより、調査を実行可能な範囲におさえてきた。この調査対象の抑制策は、感染の規模にかかわらず適用される。このように、現場の「クラスター対策」は公式の「クラスター対策」と全然ちがう内容なのであるが、おなじ名前で呼ばれてきた。7月末になると、専門家は公式の「クラスター対策」を放棄し、小規模な感染への対策こそが重要という姿勢に転向する。

目次

公式の「クラスター対策」

日本政府がCOVID-19の流行に対応するために2月以降採用してきたとされる「クラスター対策」。その基本的な戦略について、クラスター対策班を率いてきた押谷仁はつぎのように説明している。

ひと言でいえば、日本の戦略は「森を見て全体像を把握する」ことで、ニューヨークをはじめ欧米諸国は「木を見る」方法だと言えます。

 欧米諸国は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきました。

一方、日本の戦略の肝は、「大きな感染源を見逃さない」という点にあります。われわれがクラスターと呼ぶ、感染が大規模化しそうな感染源を正確に把握し、その周辺をケアし、小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘むことに力を注いできたのです。そのような対策の背景には、このウイルスの場合、多くの人は誰にも感染させていないので、ある程度見逃しても、一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく、という事実があります。
―――――
押谷仁 (2020)「感染症対策「森を見る」思考を: 何が日本と欧米を分けたのか」(インタビュー) 『外交』61: 6-11.

http://web.archive.org/web/20200531102340/http://www.gaiko-web.jp/test/wp-content/uploads/2020/05/04_Vol.61_P6-11_Infectiousdiseasemeasures.pdf

ここで押谷は、欧米と比較して日本の戦略の特徴を述べている。日本と状況の共通点が多い環太平洋諸国を無視しているのは奇妙であるが、それは措くとしよう。

接触者全員を徹底的に調査してすべての感染者を洗いだすのが欧米のやり方だとして、押谷はこれを「木を見る」方法と呼んでいる。これに対して、日本では「小さな感染はある程度見逃しがあることを許容する」が「大きな感染源を見逃さない」戦略をとってきたといい、「森を見て全体像を把握する」のだと形容している。

これはつまり、日本では感染が大規模かそうでないかによって調査の方法を変えており、大規模な感染のほうを優先的に発見していたという説明である。

現場の「クラスター対策」(目的または建前)

ところが、実際に日本の現場でおこなわれてきたのは、すべての感染連鎖を管理下におくことを目標とした「積極的疫学調査」であった。これは、押谷の表現では「木を見る」戦略にあたり、欧米とおなじ発想のものであったといえる。

国立感染症研究所の「積極的疫学調査要領」を見てみよう。これは 感染症法 第15条に基づいて保健所がおこなう調査の詳細を定めたマニュアルである。

○目的
 本稿は、国内で探知された新型コロナウイルス感染症の患者(確定例)等に対して、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第15条による積極的疫学調査を保健所が迅速かつ効果的に実施するため、作成されたものである。


○新型コロナウイルス感染症におけるクラスター対策の概念
 新型コロナウイルス感染症が国内で観察されて以降、実際に各地で行われてきたクラスター対策は、感染源の推定(さかのぼり調査)及び感染者の濃厚接触者の把握並びに濃厚接触者の適切な管理(行動制限)という、これまでにわが国の感染症対策の中で確立されている接触者調査を中心としている。クラスターの発端が明確で、かつ濃厚接触者のリストアップが適切であれば、既に囲い込まれた範囲で次の感染が発生するため、それ以上のクラスターの連鎖には至らないとされている。


〔……〕


○積極的疫学調査の考え方
 各自治体における新型コロナウイルス感染症に関する積極的疫学調査とは、個々の患者発生をもとにクラスターが発生していることを把握し、原則的には後方視的にその感染源を推定するととともに、前方視的に濃厚接触者の行動制限等により封じ込めを図ることである。なお、クラスターとはリンクが追える集団として確認できる感染者の一群という意味であり、クラスターが検出されることは、積極的疫学調査が順調に進んでいることを示しているとも言える。

 クラスター対策としての積極的疫学調査により、直接的には陽性者周囲の濃厚接触者の把握と適切な管理(健康観察と検査の実施)、間接的には当該陽性者に関連して感染伝播のリスクが高いと考えられた施設の休業や個人の活動の自粛の要請等の対応を実施することにより、次なるクラスターの連鎖は防がれ、感染を収束させることが出来る可能性が高まる。推定された感染源については、そこから把握できていないクラスターの存在の有無について確認し、新たなクラスターの探査を行うことで、感染拡大の兆しに早期に対応できることが期待される。
―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター (2021-01-14) 「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」(1月8日版) https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html

https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/COVID19-02-210108.pdf

ほぼおなじことを3回くりかえす冗長な構成である。実際に現場で使うマニュアルとしては質が低すぎる。もうちょっと簡潔なマニュアルを用意してもらえないものだろうか。

それはともかく、この文章からつぎのことがわかる。

  • 「クラスター」とは「リンクが追える集団として確認できる感染者の一群」を指す。その集団が大規模であるとか、1か所で感染したとかいう条件をふくまない。
  • 「クラスター対策」は、感染者の感染源をさかのぼって調査して推定することと、感染者の濃厚接触者を把握して行動制限することからなる。
  • クラスター対策の目的は、クラスターの連鎖を防ぐことである。具体的には、「クラスターの発端が明確で、かつ濃厚接触者のリストアップが適切であ」る状態を実現することにより、つぎの感染を「既に囲い込まれた範囲」に限定することを目指す。

ひとつめの「クラスター」の定義は、誰から誰が感染したかという情報 (リンク) をたどることでつながりを再現できるネットワーク (にふくまれる感染者の集合) ということである。「積極的疫学調査要領」の古いバージョンでは、もっとわけのわからない定義になっており、解読に苦労した のであるが、結局それとあまり変わっていない。

公式の「クラスター対策」においては、ひとりの感染者から多数の2次感染が生じる場合を「クラスター」と呼んでいた (https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20210103/vs#emerge)。積極的疫学調査における「クラスター」の定義はこれとはまったくちがい、「感染連鎖」におきかえて理解してもほとんど意味の変わらないものになっている。

ある感染者が、発熱して病院で診察を受けるなどして、たまたまみつかったとしよう。保健所は、その人はどこで誰から感染したのか (感染源)、また感染したあとに誰にうつした可能性があるか調査することによって、感染の連鎖すなわち「クラスター」を追う。その調査によって、感染した (可能性のある) 人をすべて探すことができれば、それらの人の行動を制限して、さらに感染が広がることを防止できる。

引用文中、「クラスターの発端が明確で」という部分は、意味がとりにくいかもしれない。これは、現場での「クラスター対策」が地域別におこなわれることとあわせて考えると、理解可能である。ある感染連鎖が発見されて調査が進んできた場合、その感染連鎖のいちばん最初 (=発端) に位置していたのは誰か、ということが問題になる。現在までにわかっている範囲での最初の感染者がとりあえずいるはずであるが、今後調査が進めば、その人に感染させた人が発見されるかもしれない。その場合、その新しく発見された感染者からのびる、別の系統の感染者集団を見逃している可能性がある。しかし、現在わかっている最初の感染者が別の地域で感染してからその地域に入ってきた人であった場合、「別の系統」はその地域には入ってきていないものと考えることができるので、その地域の感染状況だけを考えるなら、「別の系統」のことは無視してよい。「発端が明確」とはおそらくそのような意味 (現在観察できている「発端」はその地域では本当に「発端」だったとみなしてよい) であり、その地域にCOVID-19が侵入してきたところからの感染の連鎖を抜かりなく同定できていることを指している。

以上のように、現場での「クラスター対策」は、「木を見る」(=すべての感染者を洗いだす) 戦略を指向している。「積極的疫学調査要領」には、大規模な感染の調査を優先するとも書いていないし、小規模な感染は見逃していいとも書いていない。そもそも、感染が大規模かどうかの区別を重視していないのである。

枝切りの技法

とはいえ、実際にすべての感染者を洗いだすことができていたわけではない (できていればとっくに流行は終息していただろう)。全感染者のすべての行動履歴と接触者を調査するというのは保健所の調査能力をはるかにこえた話なので、実際に調査可能な範囲におさえる必要があった。これは、つぎのふたつの原則でおこなわれていたようである。

  1. 感染可能期間前の接触よりも感染可能期間内の接触を優先的に調べる
  2. 感染可能期間内の接触のうち、一定の条件を満たす「濃厚接触者」の調査を優先する

後ろ向き調査は優先度が低い

前者については、クラスター対策班にも参加していた和田耕治がつぎのように説明している。

「積極的疫学調査」では、「誰からもらったか」、そして、「誰にうつしたか」を見ていますが、どちらかというと「誰にうつしたか」の方が優先度が高い。感染者が増えてくると、誰からもらったかよりも、誰にうつしたかという調査を現場では優先します。

だから当然、「誰からもらったか」がわからない感染経路不明者は増えるのです。特に感染者の数が増えたところではそうなります。

増えている地域での感染経路不明者は、本当にわからない場合もあるし、教えてもらえない場合もあるし、保健所がそれどころではない場合もあって、どのケースに当てはまるかはわからないです。
―――――
岩永 直子 (2020-08-17) 「宴会2時間でも「大丈夫というわけではない」 新型コロナ第一波から学ぶべき教訓」(和田耕治インタビュー) BuzzFeed News

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-wada-12

「積極的疫学調査」というものの発想では、元来、感染源の探索は優先順位が低いのだということである。流行が大きくなく、余裕のあるときであれば感染源をいちいち探索することもありうるが、感染者数が大きくなってくれば、感染源の特定は後回しになり、やらなくなっていく。結果として、感染経路が不明のケースが増えていくのだという。

「積極的疫学調査要領」は、患者が複数発生している場合の「共通曝露源」の探索の重要性を説く一方で、「多くの場所で感染が発生しているような状況においては、特に後ろ向き調査による感染源推定の重要性は相対的に低下する」(この部分は1月8日版で追加されたようである) とも書いている。

(調査内容の原則)
○ 基本情報・臨床情報・推定感染源・接触者等必要な情報を収集する。(調査票添付1、2、3-1、3-2)
〇 感染源推定については「患者(確定例)」が複数発生している場合には、共通曝露源について探索を行い、感染のリスク因子を特定した上で、適切な感染拡大防止策(共通曝露をうけたと推定される者への注意喚起を含む)を実施する。
○ 感染源推定については、流行早期や、患者の発生が増加中にある時期、また、減少中にある時期において実施し、さらなるクラスター発生の抑制を図ることが特に重要である。これらの時期においては、患者クラスター(集団)の検出及び対応という観点から、リンクが明らかでない感染者〔患者(確定例)など〕の周辺にはクラスターがあり、特に地域で複数の感染例が見つかった場合に、共通曝露源を後ろ向きに徹底して探していく作業が有効となる。患者発生が比較的少ない状況でこれらを実施することは地域の、ひいては日本全体の感染拡大の収束に直結する。一方で、感染が拡大した結果、感染リスクが高まる場面を通じて、実際に地域の多くの場所で感染が発生しているような状況においては、特に後ろ向き調査による感染源推定の重要性は相対的に低下する。
―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」(令和3年1月8日版) https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html
〔 〕部分も原文による

https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/COVID19-02-210108.pdf

このように、後ろ向きの感染源の探索については漠然とした記述しかない。「徹底して探していく作業」と書いてはいても、具体的にどのようなケースで何をすべきかは指示がないのだ。また、感染源が推定できた場合に何をすべきかも、「適切な感染拡大防止策(共通曝露をうけたと推定される者への注意喚起を含む)を実施する」と書いてあるのみであり、どのように感染者を確定するのか、確定できた場合にどうするのかという指示はない。

後述の「濃厚接触者」(感染可能期間内の接触者の一部) についてはその具体的条件や発見した場合の対処を記しているのだが、それとは対照的である。これでは、まずは濃厚接触者についてマニュアルどおりの対応を一通りこなすことが最優先になるのが当然といえよう。感染源の探索は余裕があるときにしかおこなわれないだろうし、それをどこまでやるかも現場の裁量ということになるのだろう。

「濃厚接触者」の絞り込み

さて、では「前向き」の調査は徹底的にやっているのかというと、もちろんそんなことはない。「積極的疫学調査要領」によると、つぎのようである。

(用語の定義・解説)

〔……〕

●「濃厚接触者」とは、「患者(確定例)」(「無症状病原体保有者」を含む。以下同じ。)の感染可能期間において当該患者が入院、宿泊療養又は自宅療養を開始するまでに接触した者のうち、次の範囲に該当する者である。
・ 患者(確定例)と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があった者
・ 適切な感染防護なしに患者(確定例)を診察、看護若しくは介護していた者
・ 患者(確定例)の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高い者
・ その他: 手で触れることの出来る距離(目安として1 メートル)で、必要な感染予防策なしで、「患者(確定例)」と15 分以上の接触があった者(周辺の環境や接触の状況等個々の状況から患者の感染性を総合的に判断する)。


〔……〕

(積極的疫学調査の対象)
○ 積極的疫学調査の対象となるのは、用語で定義する「患者(確定例)」及び「濃厚接触者」である。〔……〕


〔……〕


○ 「患者(確定例)」の接触者の探索のための行動調査は、感染可能期間のうち、発症2日前(無症状病原体保有者の場合は検査陽性となる検体採取の2日前)から、入院、宿泊療養または自宅療養の開始までを原則とする。〔……〕


〔……〕


○ 調査対象とした「濃厚接触者」に対しては、速やかに陽性者を発見する観点から、全ての濃厚接触者を検査対象とし、検査を行う(初期スクリーニング)。検査結果が陰性であった場合であっても、「患者(確定例)」の感染可能期間のうち当該患者(確定例)が入院、宿泊療養又は自宅療養を開始するまでの期間における最終曝露日から14日間は健康状態に注意を払い、前向きのフォローアップとして、発熱や呼吸器症状、倦怠感等を含む新型コロナウイルス感染症の可能性のある症状が現れた場合、医療機関受診前に、保健所へ連絡するように依頼し、症状の軽重に拠らず、検査を実施する。(調査票添付3-3)
 なお、濃厚接触者の日々のフォローアップについて、HER-SYS への入力を対象者が実施することで毎日の電話連絡に代替する等、保健所と対象者とが連絡を取り合う際の作業は出来るだけ簡略化し、負荷を減らす工夫を図っていただきたい。

○ 「濃厚接触者」は感染しているリスクが高いとみなされている者であり、濃厚接触者の中から何らかの症状が出現した場合や、検査結果が陰性であっても症状があった場合で当該症状が増悪した場合における迅速な検査の実施は、集団単位での感染拡大を封じ込める対応として極めて重要である。

○ 一方で、原則として、無症状で経過する濃厚接触者は、初期スクリーニング以後は新型コロナウイルスの検査対象とはならない。自宅や施設等待機などの周囲への感染伝播のリスクを低減させる対策をとった上で、健康観察を行う。
―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター (2021-01-14) 「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」(1月8日版) https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html

https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/COVID19-02-210108.pdf

濃厚接触者は、全員が検査を受ける。検査結果が陰性であっても、最終曝露日から14日間は健康観察をおこない、症状が出現したらまた検査である。このようにして感染していると診断されれば、「患者 (確定例)」としてあつかわれることになり、その人を対象にした「積極的疫学調査」がスタートする。

これ以外の接触者については、「積極的疫学調査要領」にはほどんど何も指示がない。唯一、「用語の定義・解説」の「濃厚接触者」の項の後の注意書きに「上記の濃厚接触者に該当する者の範囲を超えて、更に幅広い対象者に対してスクリーニング検査が行われる場合がある」とある。これも、「行われる場合がある」ということなので、濃厚接触者以外のスクリーニング検査を現場の裁量でおこなうことを想定したものではなさそうだ。

したがって、通常の業務としての積極的疫学調査の範囲では、濃厚接触者だけが別格のあつかいということになる。濃厚接触者といったん認定した者は検査と健康観察の対象にしなければならないが、それ以外の接触者はそうではない。

問題は、この「濃厚接触者」の認定の条件である。「積極的疫学調査要領」にのっている基準は、上記のように抽象的なもので、

  • 同居あるいは長時間の接触
  • 感染防護のない診察、看護、介護
  • 気道分泌液や体液に直接触れた可能性が高い
  • 近距離 (目安として1m) で、感染予防策なしで15分以上の接触

という4点。これをゆるくとらえるならば、

  • 電車で感染者とおなじ車両に15分程度いたものは、濃厚接触者
  • 感染者の診察・看護・介護をおこなった者は、きちんと訓練を受けて防護服等を完璧に着用していたのでないかぎり、濃厚接触者
  • 感染者の触れたもの (器具、書類、貨幣など) に触れた可能性のある者は、濃厚接触者

といったことになるだろう。

しかし、実態としては、この「濃厚接触者」の基準は、はるかにきびしい基準で適用されているらしい。たとえば、「マスクをしていた」と調査対象者本人が主張すれば、接触相手が濃厚接触者として認定されることはほとんどないと指摘されている。

ポイントとなるのは、マスクしているか、していないかである。その際、マスクの質は問わない。あくまで聞くのはマスクの有無のみである。調査において「マスクをして会っていましたか?」と尋ねた場合、「マスクをして会っていました。」という返答だと陽性者と接触があった人であっても濃厚接触者にはならない。そして、マスクをしていた場所は感染場所にはならない。

例えば、職場でマスクしていた場合、職場の人たちは濃厚接触者には該当しないため、職場の人たちに対して追跡調査を行うことはないし、職場が感染場所になることはない。濃厚接触者に該当する人がいない場合、感染場所は不明ということになる。


〔……〕


別の症例を記す。「体調不良を訴え、検査したところPCR陽性と判明。行動調査をしたところ、「一人暮らしでマスクして出勤。ランチも一人で食べていた」という。
この場合、「濃厚接触者なし」となる。陽性者については事業所に報告し、10日間の隔離療養となるが、職場の同僚を検査することはない。
心配した事業所からは、保健所に「社員を検査しなくて大丈夫か?」と相談される。保健所からは「濃厚接触者該当者がいないため保健所経由での検査対象にはならない」と返答するしかない。
それでも心配した会社は自費で社員の検査を実施する。結果的に3人の陽性者がでた。病院から発症届が提出されると共に、事業所から保健所に今回の保健所の対応について疑問と苦言の連絡が入る。
現在の調査方法では、最初の陽性者と後者3人のどちらが先に感染したかは不明であると共に、全員マスクをしていたため、このケースは「感染経路不明」と分類される。
―――――
首都圏の保健所に勤務する保健師 (匿名) (2021-01-15)「濃厚接触者探し、クラスター対策の虚構:現場保健師の実体験から」医療ガバナンス学会メールマガジンMRIC

http://medg.jp/mt/?p=10059

この投稿は匿名であり、事例も特定されているわけではない。しかし、この1月には、つぎのような事例が報道されている。

掛川市の事業所では、今月1日に従業員1人が発症。マスクを着用していたことなどから濃厚接触者がいないとされたが、事業所側が行政の検査対象にならなかった他の従業員80人のPCR検査を独自に実施。さらに10人の陽性が判明した。

 感染した11人が所属する部署は複数にまたがる。県疾病対策課の担当者は「食堂では、感染者同士が同じ時間帯に利用していなかった。飛沫感染の可能性もゼロではないが、事業所出入り口の扉を接触したことが主な原因」とみている。
―――――
東京新聞「<新型コロナ>静岡県内で新たに50人の陽性確認 出入り口の扉から感染拡大? 掛川市の事業所でクラスター」TOKYO Web. 2021年1月24日 07時59分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/81742

もしこの担当者がいうように「事業所出入り口の扉を接触したことが主な原因」なのであれば、そもそも「マスクの着用」や「15分以上の接触」といった基準によって「濃厚接触者がいない」という判定をおこなうのが的外れである。たとえば出勤途中で鼻をかんで、その際に手に鼻水が付着し、そのまま事業所のドアを手で開けたのでドアノブにウイルスが付着していた、というような場合、そのドアノブに触れれば濃厚接触 (気道分泌液や体液に直接触れた) にあたるのであって、本人と接触 (会話など) をするかどうかは関係ないはずである。

また、飛行機の乗客の中に感染者がいた場合 (去年の3月23日のケース) について、つぎのような報告がある。

B便の搭乗者(客席数177席, #1〔最初に判明した感染者〕を含め乗客乗員計148名)に関しては当初, 前および左右2列を濃厚接触者とし, 27日に航空会社から対象者の氏名と連絡先を入手した。28日に連絡がとれた濃厚接触者3名中2名が発熱を呈していたため, 居住する自治体へ情報提供しPCR検査を依頼した。なお, これらの濃厚接触者によると, #1は機内で激しい咳をしていたがマスクは未着用であった。
―――――
豊川貴生, 速水貴弘, 瑞慶山躍司, ほか「航空機内での感染が疑われた新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) のクラスター事例」(国内事例) 国立感染症研究所『病原微生物検出情報』41(10): 187-188. https://www.niid.go.jp/niid/images/idsc/iasr/41/488.pdf

https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/9930-488d01.html

このケースでは、感染者の座席の前・左・右のそれぞれ2席ずつにいた乗客だけが「濃厚接触者」として当初調査の対象となっていた。図示すると、つぎのような感じである。


―――――
2020年3月23日神戸-那覇便での感染事例における当初の「濃厚接触者」の範囲

通路を隔てた2つ先の座席が範囲にふくまれる一方で、すぐ斜め左前の座席が範囲に入らない (この座席には乗客はいなかったようであるが) など、何の合理性があるのかわからない範囲設定である。このケースでは、この範囲外からも感染者が次々とみつかたっため、調査範囲を拡大していき、最終的には全乗客乗員を対象として14人の感染を確認している。(https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20201105/bunshun を参照されたい。なお、この報告を踏まえてか、「積極的疫学調査要領」1月8日版には、飛行機の場合の濃厚接触者判定基準が特に例示されている*1。)

COVID-19に関しては、当初から、接触感染が主要な感染経路のひとつであるとされてきた。また、通常の飛沫より細かい粒子によって、相当遠いところまでウイルスが運ばれることも、3月には指摘されていた。手洗いや換気が重視されてきたのはこのためである。しかし、日本の積極的疫学調査においては、このような感染経路への警戒は弱く、もっぱら近距離での長時間の会話等による飛沫感染に焦点をあわせた調査がおこなわれている。通常の飛沫感染では起こらないような広範囲の感染が起こることを発見し、警戒を早期に呼びかけたのは日本の対策の特徴だと賞賛されることも多いのであるが、調査の現場においては、そのような知識は活用されていないようである。

「現場のクラスター対策」の実像

「積極的疫学調査要領」においては、「クラスター対策」の目的を、すべての感染連鎖を管理下におくことと説明していた。しかし、実際の調査内容を具に見れば、感染の連鎖をたどる範囲はきわめてせまく設定されている。1件の感染者が発見された場合、確実に調査対象となるのは、「濃厚接触者」だけであり、その認定基準がきびしいからだ。基準が非合理的なので、感染者を大量に見逃しているのは確実である。その反面、範囲を絞り込むことによって、調査資源は節約できている。

これは確かに、押谷のいう「感染者周辺の接触者を徹底的に検査し」ようとする欧米型の対策とはちがう。しかし、「大きな感染源を見逃さない」という戦略ともほど遠い。小規模であるか大規模であるかにかかわらず、調査対象を絞り込んで省力化を図った接触者の追跡方法が、「現場のクラスター対策」の実像といえよう。

押谷の主張するような、公式の「クラスター対策」は、小規模な感染 (=木) の探索を省略して、大規模な感染 (=森) を摘発するものだったはずである。しかし、実際におこなわれてきた「現場のクラスター対策」においては、木であるか森であるかは関係ない。ただ、「マスクをしていたか」「感染者とどれくらい離れていたか」「いつ接触したか」「接触の時間は何分か」といった基準によって、個別の接触者を追跡するかどうかを決める「枝切り」をおこなっているのである。

専門家たちの転向

小規模感染を無視して大規模感染の発見に注力するという意味での、公式の「クラスター対策」は、3月から5月ごろに盛んに宣伝された。いわゆる 「日本モデル」 の重要な構成要素でもあった。しかし、ここまでみてきたように、現場での調査においては、ほとんど採用されてこなかったと考えてよさそうである。

小規模な感染の見逃しを許容しながら大規模な集団感染を重点的に発見する、という方針を本当に貫徹したらどうなるのだろうか? これは興味深い問いではあるが、実際に実行される可能性は日本ではほとんどない。というのは、日本政府とその意思決定に関わる専門家たちはすでに公式のクラスター対策を放棄しており、「現場のクラスター対策」を追認して、小規模な感染に着目して対策を練る方向に転換しているからである。

公表される文書をみていくと、変化は7月30日に突然おきたようにみえる。この日の厚生労働省アドバイザリーボード第4回会議議事概要に、つぎのようなやりとりが記録されている。

(川名構成員)
〔……〕感染経路が不明の症例が50%以上あるという状況で、感染経路がはっきりしているものについては、その大部分が3密で説明できるとしても、残りの50%は3密で説明できないと解釈するのであれば、3密が中心であると限定的に評価していいのか。

(押谷構成員)
○ 大きなクラスターを形成しているのは、3密の環境が要因といっていいと思うが、そうでないものもかなりあり、それがリンクが分からないものが増えているということにつながっているのかなと思う
―――――
新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(第4回)議事概要 (2021-07-30) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html#h2_free17
p. 5

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000689758.pdf

ここで押谷が「大きなクラスター」といっているのは、一カ所で、一人の感染者が大勢に短期間のうちに感染させるような大規模集団感染のことであろう。「そうでないものもかなりあ」ること、そして感染経路不明のケースのかなりの部分は「そうでないもの」に該当する可能性があることを、ここで認めている。COVID-19感染のほとんどは大規模な集団感染による のであるとか、経路不明ケースの背後には大規模集団感染が隠れている、と決めつけて騒いでいた3月ごろの論調とくらべ、ずいぶんとトーンダウンしている。

このアドバイザリーボード第4回会議には、「クラスター事例集」として、小規模感染事例を集めた参考資料が提出されている。


―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター/実地疫学専門家養成コース (FETP) (2020-07-30) 「クラスター事例集」
第4回厚生労働省アドバイザリーボード 参考資料 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html#h2_free17
p. 7

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000654503.pdf

さらに、翌日の新型コロナウイルス感染症対策分科会第4回会議には、小規模な感染までふくめて「クラスター等」としてカウントした資料が出ている。このあたりの事情は、https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20210103/vs#july で解説した。

さらに、8月7日には、分科会会長の尾身茂のつぎのような発言が明らかになっている。

尾身氏によれば現状は、市中感染といっても、不特定多数から不特定多数に「面」で拡大しているのでなく、夜の街で感染した従業員や客が、友人や家族に感染させ、さらに、その家族がお見舞いに足を運んだ親族の入院先で感染を広げている――というように「線」でつながって広がっている状況だという。
―――――
広野 真嗣 「「帰省は慎重に判断を」コロナ分科会・尾身茂会長が独自取材で吐露した“迷いと苦心”: “政府の追認機関”との批判もあるが…」文春オンライン 2020-08-07

https://bunshun.jp/articles/-/39538

小規模な関連が長く連鎖して感染が拡大しているので、小規模な感染をおさえなければ感染は終息しない、という認識である。

おそらく、7月末までに、小規模感染を無視しても大規模感染さえおさえておけば流行は阻止できる、という公式の「クラスター対策」の発想は放棄され、むしろ小規模感染のほうをきちんと把握する方向で対策を建てなければならない、とする合意が、専門家の間で形成されたのだろう。しかし、どのような経過をたどってそうなったのかは、公開の資料からはうかがい知ることができない。