http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2021/1st/
田中重人 (東北大学文学部准教授)
2021-06-03
文学部1年生向け行事と予定が重なってしまったため、オンデマンド授業とします。この資料を読んで、つぎの課題を提出してください (ただし課題3については、なければ提出不要)。
つぎの4つの命題について考えてみましょう
これらの命題は、似ているのですが、それぞれちがうことを言っています。 Aは世の中の実際の状態がどうなっているかの問題、 Bはそれを人々 (あるいは政府、企業、団体など (以下同じ)) がどうとらえているかの問題、 Cは状態を人々がどう評価しているかの問題、 Dは人々がどういう行動をしなければならないことになっているかの問題です。
社会について研究する場合、どのタイプの命題もとりあげることができるのですが、それぞれ焦点がちがってきます。以下、私 (田中) が実際にやってきた研究を題材に、これらのちがいについて考えていきましょう。
世の中の実際の状態がどうなっているかを調べる研究は、やることが比較的単純です。何かの手段でデータを集めてきて (あるいは人がすでに集めたデータを使って) 分析し、仮説を検討します。
データ収集と分析の方法はいろいろあるのですが、私は主として質問紙調査法による大規模調査という方法を使っています (それしか専門的訓練を受けていないので……)。多数 (数千人から1万人くらい) の調査対象者を全国からランダムに選び、事前に用意した質問紙に記入してもらって、回答を統計分析します。これはひとりでできるような規模のものではないので、大勢の研究者が集まってチームを作り、作業を分担して進めるのがふつうです。 (日本におけるこのような大規模調査のデータは、東京大学SSJDA <https://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp> などの施設で公開されていることがあります。その一部は学生も入手して使うことができます。)
私が最初にやった研究 (大学院生の時です) は、このようなデータを使って、結婚前に正規雇用の職に就いていた人のうち、何%の人が、結婚して子供ができたあとまで正規雇用の仕事を続けるのかを推定することでした (田中 1996)。分析の具体的な方法などは省略しますが、結果としてわかったのは、女性のうち正規雇用を続けるのは20%程度であり、この比率は戦後すぐから1990年代までほとんど変化していないということでした (男性はほとんど100%)。
そのあと、おなじデータを使って、正規雇用を継続する女性の比率が学歴によってちがうのかを分析し、学歴による差はない (厳密にいうと、大学を卒業して学校教員になった女性の継続率は高いのだが、それ以外の職種では差がない) ことを明らかにしました (田中 1997)。また、別のデータ (生活時間の調査) のデータ集計で、男性の家事時間は家庭の状況 (結婚しているとか子供がいるとか) にほとんど影響されず、時代による変化もほとんどない (というかどんな状況でもゼロに近い) ことも確認しています (田中 1999, 2007)。
これらの研究成果は、日本社会の現実の状態について新しい発見をもたらすものでした。というのは、当時 (1990年代) においては、仕事を続ける女性はどんどん増加してきていて、それは高学歴の女性ほど著しいと信じられていたからです (今では想像しにくいかもしれません)。また、男性が家事をしないのは仕事が忙しいせいだということもよく言われていた (その背後には、生活時間は家事と仕事の間で合理的に配分されているはずだという前提がある) ので、いや、状況が変化しても男性の家事時間はほとんど変化しないんですよ、という結果はそれなりのインパクトがあったわけです。
つぎにやったのが、離婚後の経済状態の研究でした。そのような研究は、それまであまりおこなわれていませんでした。どうしてかというと、日本は40年くらい前までは離婚率の低い社会だったため、じゅうぶんな数の離婚経験者をランダムに集めてくることがむずかしかったからなのです。しかしその後、離婚率が上昇してきたため、大規模なサンプル調査をすれば、ある程度の数の離婚経験者が集められる状態になってきます。人口の5%くらいが離婚経験者だとすると、1万人の調査対象者の中に、500人くらい入ってくることになります。それくらいの人数があれば、統計的な分析にじゅうぶん使えるのです。
そうして集めたデータで、離婚経験者の経済状況 (等価所得 equivalent income という数値を計算しているのですが、説明は省略) を調べたところ、男性に比べて女性の経済状況はかなり悪く、貧困かそれに近い状態にあることがわかります。また、どういうケースでそうなりやすいのかを調べると、正規雇用についていないか、小さい子供がいるか (あるいはその両方) のケースであることがわかりました (田中 2010, 2013)。
……という研究成果なのですが、これでは大したことがわかった気はしないですよね? 離婚後に貧困に陥る女性が多いのは常識的にそうですし、小さい子供がいたり、仕事を辞めて専業主婦になっていたりするとそうなりやすいということも、よく知られています。当事者やその近親の人は、実感としてそういうことを知っているわけです。また、母子家庭の貧困というのは戦後日本社会ではずっと社会問題であって、福祉政策上の課題でありつづけてきました。この研究でやったことは、大量にデータを集めてきて統計分析をして、そういうあたりまえのことを再確認しただけだということになります。
こういう研究にもちゃんと意義はあって、それは、人々が実感として知っているようなことについて、代表性のあるきちんとしたデータで精確な裏付けを示すということなのですが、なにか新しいことを発見した研究ではないのです。
ただ、これは興味深い事態ではあります。問題があることはちゃんと知られていて、政策的に解決すべき課題として長年とりあげられてきたにもかかわらず、今でもぜんぜん解決できていないということになるからです。
上記の A--D の分類でいうと、AとBは一致していますから、現実が正しく認識されているわけです。あとは、この状態は良くないという評価 (C) があって、改善のために適切な人に適切な行動を義務付ける (D) ことができれば、問題は良い方向に向かっているはずです。実際にはそういう方向にないのですから、たぶんCかDがそうなっていないのでしょう。
日本の離婚制度に関する文献 (主として法学分野のもの) を調べていくと、主としてふたつのことが問題になってきたことがわかります。ひとつは、日本で離婚するケースの9割は協議離婚なので、本人たちが同意して離婚届を出すだけでよく、法律の専門家などが介入する余地がないことです。もうひとつは、裁判所が介入する残り1割 (裁判離婚または調停離婚) の場合でも、離婚にあたっての財産的な清算 (法学者は「離婚給付」と呼ぶことが多い) を平等におこなうべきだという規範が成立したのはごく最近 (おそらく1990年代後半) で、しかもそこで対象外になってしまった事項が多いということです。
これらは、日本の伝統的な家族制度では、結婚は両者の所属する「イエ」の問題であり、国が介入すべき問題とは考えられていなかったというところにたぶん遠因があります。明治時代に最初に家族関係の法律をつくろうとしたとき、政府はいったんは欧米 (特にフランス) の法律を参考にした案を用意しました。そこでは、離婚は裁判によるもので、その際に金銭的な清算のことを具体的に決めるように規定されていました。しかし、この案は日本の伝統的慣習から外れすぎているということで破棄されてしまい、その後あたらしく別の案がつくられます。この新しい法案では、離婚は両者の協議によって決めればよいことになりました (合意が成立しない状況で一方が離婚したい場合には裁判ができる)。この法案も実際には施行されずに終わるのですが、最終的に1898年に成立した民法 (よく「明治民法」と呼ばれる) にその内容が受け継がれています (高野 1964)。
明治民法の下では、離婚の際には平等に財産をわけなければならないといったルールはなく、当事者が話し合って離婚に合意して届を出せばそれだけでかまわなかったわけです。もっとも、これでは離婚後に財産や収入がなくなって生活できない人が続出してしまいます。そのため、訴訟が多数提起されるようになり、当時の大審院 (いまでいう最高裁判所にあたる) が、離婚にともなう「慰藉料」(=精神的損害に対する賠償) という形式で、一定の財産を分割させることができるという判例を確立させました (1929年)。
1947年には民法が全面的に改正されて、「財産分与」の制度が新設されます。これで、離婚の際に財産を分割することが通常の手続きになったのですが、その内容をどうするかの規定が法律上にあるわけではないので、具体的な金額などは個別の判断 (協議離婚なら当事者間の合意、裁判の場合は裁判官) にまかされています。
ただ、この新しい法律の下でも、財産を平等にわけるべきだとは、最初は考えられていませんでした。当時は財産を形成するにあたっての「貢献」に応じてわけるべきという考えかたが主流でした。このため、お金を稼いでいた人 (たいていは夫) が財産をほとんど持っていってしまうことになります。無収入であっても、家族の一員として貢献している以上はその分を考慮すべきという考えかたが浸透していくのは1970年代以降のフェミニズムの影響下であり、さらに進んで、特別の事情がない限り財産は夫婦間で半分ずつに分割するという原則 (「2分の1ルール」と呼ばれる) が確立するのは1990年代の話です (小田 2000)。
また、分与の対象となる「財産」というのは、現金・預金・不動産などの実体的な物に限られます。離婚後の経済状況を規定する要因としては、小さい子供がいるので働けないとか、仕事を辞めてしまって再就職がむずかしいとかいったことが大きいのですが、そうした損失を金銭的に補填するようなことは考えられてきませんでした。
このような損失をどのように補填するかという議論は鈴木 (1992) や本沢 (1998) がおこなっていますが、現行法の下で実行するには相当強引な解釈が必要であり、法律の改正が必要でしょう。ところが、このような議論は法律の専門家の世界でしかおこなわれていないので、その外の世界で支持を集めて国会で多数を獲得できるような状況には、今のところありません。
特に、協議離婚の場合、財産の平等な分割を求めることはむずかしいのです。裁判 (や調停) であれば、判断を下す裁判官は法学の専門的な議論を熟知しているわけですから、その世界の中で有力な説を採用した判断になることが期待できます。しかし、裁判で離婚する人は少数派です。 9割方は当人たちで話し合って協議離婚しているので、そこには法律家の議論は影響しにくいことになります (上野 1993)。
法学の内部では、単に法律をどう解釈するかといった技術的な議論を超えて、結婚生活の中で形成した人的資本は共有財産のようなものとみなすべきだとか、結婚制度が不平等を生み出すことになってはならないという新しい価値基準が提唱され、ある程度の支持を得ています (鈴木 1992; 本沢 1998)。しかし、そうした議論は法学の世界の外ではほとんど知られておらず、結婚という制度と不平等との関係が真剣に論じられることもあまりないように見えます。
以上のようなことを総合すると、結婚・離婚が不平等を生み出してしまうのはよくないことだという価値基準は一般的には成立しておらず、また不平等を是正する行動を促す規範も浸透していないようです。法学の専門的な議論に限定すれば、そのような価値基準と規範は一定の支持を得ているのですが、それが有効に機能する場 (たとえば裁判) は限られるため、その影響は限定的であると考えることができます。
最初に提示した A--D の分類にならって以上のことをまとめると、つぎのようになります
問題があるという事実自体は認識されているのだが、それをどのように評価するかという基準や、問題を解決するために私たちがどう行動すべきかという規範は一部の専門職にしか通用していない、というのが現状ということですね。
状況は少しずつ変わっています。たとえば D' に着目すると、離婚時に財産を清算する仕組みの全くない状態から、裁判離婚であれば財産を平等に分割するのが通常になるところまで、100年以上かけて制度を変化させてきたことが分かります。 2004年には、年金を離婚時に分割できる制度が導入されました (高畠 2005)。ゆっくりですが、結婚や離婚が不平等をもたらす状況を改善しようという試みは前に進んできているのです。
社会を対象とした研究をするにあたっては、上記のようなさまざまな側面に、いちおう気を配っておく必要があります。というのは、現実の社会の状態は、このようなプロセスを通して変わっていくからです。また、過去の社会においてもこのようなかたちでの変化がおこっていて、その結果が集積したのが現在の社会の姿だと考えることもできます。
ひとりの研究者が一定の期間内に研究できることは、ごくわずかです。たいていは、研究対象を狭く限定し、ひとつの側面に絞ってデータを集め、分析することになると思います。しかし、そうやって限定した範囲でおこなった研究の成果を公表しておくと、他の人が別の対象、別の側面に応用することができます。逆に、他の人がおこなった研究成果を参考にして、自分の対象に応用することもあるでしょう。研究はひとりでするものではなく、多くの人との共同 (あるいは分業) でおこなうものです。多くの研究をまとめてみてはじめて、社会の大雑把な輪郭が見えてきます。
この課題について解説 (2021-06-30 作成)
人文社会序論「現代日本学入門」(田中担当分) のインデックス
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