14.3.6 近代化と階層論
逆に言えば、従来の階層論というのは、特に近代化途上の社会において有効な議論なのである。つまり、法制度の建前や社会の公式の一次モデルにおいては、全ての人間に財の獲得機会の平等性がうたわれており、社会の大多数の人々もそれを期待している。にもかかわらず過去の慣性や具体的な制度の不備によって、現実には不平等を残っている。そうした場合に、その不平等を直接うみだす属性が〈要因〉として発見される。
事実、現代の欧米や日本ですぐれて階層として意識されているのは、相続財産としての資産であり、エスニシティであり、性差(ジェンダー)である。これらはすべて業績主義のなかに残された「帰属 ascription」であり、だからこそこれらの「帰属」は〈要因〉として映るのである6。
それに対して、例えば完全な身分制社会では、「帰属」は〈要因〉性をそれほど強くもたない。庶民は「貴族としてふるまえるはずなのに」などは思わない、とされているからである。ごく最近までジェンダーもまったく同じであった。「女性は本気で『男性と同じように生きたい』とは思っていない」と考えられている限り、ジェンダーが階層として発見されることはない。逆に、もし女性が男性と全く同等の選択機会がもつようになれば、その時ジェンダーは階層ではなくなる。
その意味では、ある階層指標がリアリテティを得たり失ったりするのは、それ白体近代化のプロセスの一部なのである。ある差異が本来「あるべきでない」差異だと意識された時、その差異は階層に結びつく。14.2..6〔ママ〕で述べたように、当事者レベルの「公正」観は、階層意識の問題ではなく、階層概念そのものにかかわる。ある階層が発見されるということ自体、つねに一定の「公正」観を前提にしているからだ(それゆえ、「公正」観を階層意識にいれてしまえば、階層と階層意識は論理的に区別できなくなる)。
そして社会状態が変化した結果、その差異が〈要因〉=行為の規定力を大きく減じればその差異は階層と結びつかなくなる。差異はあるが、それが階層としてリアリティをもたなくなるのである。ちなみに、このプロセスは、差別における告発相関主義の問題と同型である(坂本(1984)参照)。
近代社会は構成員間の平等(正確には公正としての平等)を重要な原則として立てている。それゆえ、「あるべきでない」差異が発見されれば、それを無効化するような政策的圧力が働く。むろんその政策がつねに成功するとは限らないが、大きく見れば、近代社会では「階層」を発見して消去するダイナミクスがつねに働いている。ある階層指標がリアリティを得てやがて失うのは、近代社会としてむしろ健全な現象なのである。
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p. 177
佐藤 俊樹. 「階層」概念の再構築: 階層論は何であってきたか/何でありうるのか. {1995:BN13108672#Chapter_14}
ed.= 佐藤 俊樹. 階層・移動研究の現在 (科学研究費補助金 研究成果報告書). 東京工業大学
Created: 2007-12-16. Updated: 2007-12-16.
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