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田中重人 (東北大学文学部准教授) 2020-06-01

現代日本学概論I「現代日本における職業」

第4講 雇用をめぐる法と政策 (2)


[配布資料PDF版]
[テーマ] 労働法の歴史的背景

前回宿題について

課題:

  1. 「共有地の悲劇」とはどういうことを指すか。
  2. 近代初期の社会における使用者と労働者との関係には、「共有地の悲劇」とどのような点で類似性があるか
[(1) 解答例] 「共有地の悲劇」(the tragedy of the commons) とは、Garett Hardin が同名の論文 (Hardin 1968) で取り上げた寓話で、、共用の牧草地に多数の農民が牛を放牧している場合に、それぞれの農民がより多くの利益をあげるために多くの牛を放牧し、結果として牧草が食べつくされて荒廃してしまう状況を描写している。もし牧草地が農民個人の所有地なら、そのようなことが起きないように牛の数を調整するであろう。しかし、共用の牧草地の場合には、自分が牛の数を制限しても、他の農民が同様の行動をとらなければどのみち牧草地は荒廃する (逆に他の農民が自己規制してくれれば、自分が多少牛を増やしても牧草地は安泰である)。そのため、すべての農民にとって、牛の数を増やすことが合理的となる。

この寓話の要点はつぎのように整理できる:

  1. 全体の状況を把握して適切な規制をおこなう仕組みがないので、
  2. 「悲劇」を回避する行動 (=協力) をとる誘因がない。
  3. そのため、協力しないことが各個人にとっての合理的な選択となる。
  4. 結果として、協力行動がとられないことになるが、それは全員にとって不利益な結果をもたらす。

以上のような整理にもとづくと、近代初期の社会における使用者と労働者との関係については、つぎのような点で「共有地の悲劇」との類似性があるといえる。

[(2) 解答例] 近代初期の社会においては、(a') 使用者と労働者の間で結ばれる契約を規制する仕組みがなかったため、(b') 使用者にとって、労働条件を引き上げる誘因がなく、(c') 低賃金で長時間労働者を働かせることが合理的である (他の使用者も同様の行動をとると予測できるので、自分のところだけ労働条件を上げると人件費が高くなって競争に負ける)。(d') しかしそのような状況が続くと、労働者が窮乏化して生活を維持できなくなるため、労働力の再生産ができなくなり、次世代が育たなくなって、社会秩序の崩壊 (=使用者にとっても不利益) が起きる。

両者がなんとなく似ている、ということは感じとれると思いますが、学問的な議論をする際は、 前提をはっきりさせて明示的に 論じるやりかたを考えます。今回の宿題の場合だと、両方から特徴を抽出してそれらがおなじであることがいえればよいわけですが、では何に注目して抽出すればいいのかがポイントです。

なお、このような現象は、ミクロな水準での各行為者の合理的な行為の集積が、マクロな水準では非合理的な結果をもたらす、というかたちで定義することができ、「社会的ジレンマ」(social dilemma) と呼ばれます (長谷川 1991)。


なぜ労働関係は特別扱いされるのか

前回も説明したように、近代資本主義社会の初期には、労働契約も通常の商取引における契約とおなじように、契約当事者の自由に任せるべきものとみなされていました。政府が介入したり、労働組合を結成して集団的に交渉 (=カルテル cartel) したりすることは禁止されていました。しかしその後、工場法 (Factories Acts: 英1802年以降; 日本では1911年) などの法律が整備されて、労働契約を規制する仕組みが徐々に発達してきました。

歴史的説明

「産業革命」(Industrial Revolution) 以降のヨーロッパでは、農民や自営業層が縮小して資本家 (bourgeoisie) と労働者 (proletariat) へ分解し、労働者が窮乏化していく現象が起こります。これに対抗して労働運動が組織されるようになり、社会主義運動が活発になってきます。

従来の (自由契約に基づく) 資本主義のありかたへの抗議が高まり、社会主義革命の可能性が現実性を帯びてくるにつれ、それに対応して、社会の仕組みを変えることで資本主義体制を維持しようとする政治的勢力 (修正資本主義) が台頭してきます。革命を起こしてすべての産業を国有化するようなことはしないが、個々の行為者の努力では解決できないことについては、政府が積極的に介入する (=国民の自由を制限する) のが当然である、という考えかたです。

規範的説明

この間、社会思想や法学の面での研究も進み、労働の規制を正当化する思想的・法的な理屈が考えられてきました。

自由権の保障と公序良俗

労働契約においては、賃金と引き換えに労務を提供するわけですが、「労務」というのは命令に従って働くということです。このため、労働契約はしばしば奴隷制や人身売買と変わらないものとなり、労働者の自由権を保障できない事態が起きます。この観点から、労働契約には「従属性」(菅野 2010) がつきものであり、従属的な立場に入ることを内容とする契約は、その内容を規制する必要がある (たとえば解約の自由を保障するなど) と考えられるようになりました。

また、労働契約以外のさまざまな契約については、そもそも完全に当事者の自由にまかせていいものではなく、社会秩序に反する契約は無効と考えるべきという法理も確立してきます。

民法 90条: 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする

食品、医療、住宅など、人々の生存に直接かかわるような事柄については、特に政府が基準をつくって介入する (免許制や品質基準制定など) が導入されるようになります。労働についても、これらとおなじように、賃金や労働時間、安全衛生などについて一定の基準を政府が設け、使用者にそれらを守ることを強制する仕組みが考えられました。

基本的人権の拡張と福祉国家

近代的な基本的人権の概念は、当初は自由権と平等権のごくかぎられた内容からスタートしました。しかしそれはやがて範囲を拡張していきます。 20世紀に入ると、「社会権」と呼ばれる一群の権利が、基本的人権の一部と考えられるようになりました。

憲法 25条: すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

さらに、社会権を保障するための発達した社会保障制度を持つ国家が20世紀後半になって出現します。これが「福祉国家」(welfare state) と呼ばれるものですが、福祉国家を維持するには、政府による公的扶助 (生活保護など) と社会保険 (年金など) のほか、安定した雇用と賃金を通じた生活保障の仕組みが不可欠になってきます。つまり、万が一の事故に備えるための生活保護や年金などを支えるためには、大部分の人々が安定した所得を得て暮らしている必要があり、そこから徴収した税や保険金を社会保障のための財源として使う、という発想です。


宿題

仙台と福岡に工場を持つ電機メーカーがあり、仙台工場でテレビを、福岡工場でスマートフォンを生産している。このメーカーは、市場動向の変化にともなって、仙台工場を縮小して福岡工場を拡大したいと考えている。このとき、つぎのふたつの人事戦略には、それぞれどのような得失があるか。 企業側の立場に立って 答えよ。できる限り多様な側面から考えること。

  1. 仙台で雇用を減らして福岡で増やす
  2. 仙台工場の労働者を福岡に移動させる

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