(Beta Version)
田中 重人
(大阪大学人間科学研究科社会学専攻)
(tsigeto(AT)nik.sal.tohoku.ac.jp)
※ この論文は改稿の上『社会学評論』48巻 (1997) に掲載、 さらに『1995年SSM調査シリーズ』に収録されています。 最新の情報はこちらをご覧ください。
女性のフルタイム継続就業に対して学校教育が持つ影響力について論じる。 近代型の性別分業に関心を限定するため、家族経営型の自営業に属する女性はのぞいて分析する。 まず、[1]戦後日本社会における急激な高学歴化にもかかわらずフルタイム女性の比率が一定水準を保ってきた事実を、 1955--95年のセンサス・データから確認する。 ついで、1985年の全国調査による女性個人経歴データを分析する。大卒女性は、一見、フルタイム継続率が高いように見える。 だが、[2]教員を除いた分析ではこの関連は消える。 上の関連は、教員という、フルタイム継続就業しやすい特別な職業と大卒学歴とが結びついているための、 擬似的なものにすぎない。 大卒者数と教員数が独立だということから考えて、 高学歴化と女性フルタイム継続率の変化とは無関係と結論できる。
さらに、女性のフルタイム継続を左右する潜在的要因を探るため、ロジスティック回帰分析を適用する。 [A]結婚相手の職業的地位が一定ならば、学校教育は直接の正の効果を持つ。 [B]女性自身の職業的地位は直接効果を持たない。
分析結果[A][B]から、学校教育は性別分業流動化機能を持つこと、 それは人的投資としての教育の効果によるのではなく性別役割意識の変容を通じてのものであることがわかる。 だが分析結果[1][2]にみるように、この効果はきわめて弱く潜在的なものであり、 社会全体での性別分業の変動には結びついていない。
それぞれの仮説の内部には、社会意識論に基づくものと人的資本論に基づくものの2種類の論理が混在している。 したがって、こまかくみれば4種類の仮説が区別できることになる。
この仮説のポイントは、学校は近代産業社会の分業構造を再生産する装置だ [Deem: 1978: 2f.] とみなすところにある。 「男は仕事、女は家庭」という近代型性別分業を支える意識は、学校教育の中で育っていく。 このため高い教育を受けるにつれて、人々は性別分業構造により強く組み込まれていく、とこの仮説は主張する。
Leibowitzの説明によれば、これは学校教育が育児の生産性を高めるゆえの現象である。 育児の生産性が高ければ、子供を他人の手にゆだねて育てるよりも、自分で育てるほうが合理的だ。 しかもほかの種類の家事とちがい、市場で購入できる育児サービスの質は貧弱である。 自ら育てるのと同等の質の高い育児サービスはほとんど手に入らないから、 育児労働を外部化する対策がとりにくい。 ――現代社会の仕組みは、高学歴女性が働きつづけるのは割にあわないようにできている、というのである。
この場合、学校教育は人々の態度を変化させるわけではないけれども、 女性の育児生産性を引き上げるという回路を通じて、性別分業の強化に貢献することになる。
この仮説が正しければ、学歴が高い人ほど、性別分業に批判的な考えかたを強く持つようになるはずだ。 そして社会全体の学歴水準が上昇するにともなって、性別分業は流動化していくことになる。
こうした性別分業の指標としては、職業を持つ女性の数を女性労働可能人口で割った数値(就業率) を使う研究が多い。 だがこの指標には、つぎのふたつの問題点がある (2)。
ひとつは、家族経営型自営業の問題だ。 職業領域と家事領域との分離が本稿の議論の前提となっていることを先に述べた。 家族ぐるみで働く自営業の家族はこの研究の対象外にあるのだが、 就業率とは、これら対象外の人々をもふくめて集計した数値なのである。
もうひとつ、パートタイムや短期型の就業の問題もある。 長期間連続してフルタイムで働きつづけるのを職業領域への進出の本格的なかたちとすると、 パートタイムや短期キャリアの働きかたは、それよりはずいぶん性別分業原理への抵触度が低い。 未婚期だけの就業は家事・育児役割を女性に割り当てる性別分業原理にはほとんど抵触しない (3)し、既婚女性のパートタイム就業は家事を優先させるための(つまり近代型性別分業原理に則った) 選択だと論じられている [上野: 1990: 209f.]。 性別分業の変動を先鋭にとらえるには、 本格的に職業領域に参入しているフルタイム女性の割合を指標とするのが望ましい(4)。
これらの問題を考慮し、この論文では、 農業・自営業・家族従業を除いたうえでのフルタイム女性比率を使うことにしよう。
(1) この種の性別分業の強さを測るにはふたとおりのやりかたがある。 ひとつは家事領域への男性の参入度を測る方法、もうひとつは職業領域への女性の参入度を測る方法だ。 本稿では後者を使う。 女性の職業領域への進出に関してはさまざまなデータがあり、 また相当ふるくまでさかのぼって比較することができるからである。(2) これらの問題のため、既存の実証研究からはほとんど示唆を得ることができなかった。
(3) 未婚化や晩婚化を性別分業の弱体化のあらわれとみる意見もあるが、根拠は弱い。 女性がキャリアを追求していくにあたって結婚・出産を延期・拒否せざるをえない事態は、 まさにその社会の性別分業の強さを物語っていると解釈すべきだろう [大沢: 1993: 130, 226, 229]。
(4) 実際、パートタイム・短期型の就業とフルタイム・長期型の就業とはちがう変動の方向を示すことが すでにわかっている [Hakim: 1996: 60--82] [田中重人: 1996] [松浦+滋野: 1996]。 そしてまた、前述した仮説ではいずれも、学校教育の効果は、 このような本格的な職業領域への進出のかたちであらわれることが暗黙のうちに期待されていたと考えられる。
この高学歴化にともなって、女性のフルタイム就業率はどう変化してきただろうか。 表2は総務庁統計局「労働力調査」の時系列データによるものであり、 農業・自営業・家族従業を取り除いたうえでのフルタイム雇用者の比率を示している。 1955年の数値がすこし低いけれども、それをのぞけば、 女性フルタイム率はだいたい3割弱の水準で一定している。 戦後日本社会においては、高学歴化が進展してきたにもかかわらず、性別分業の程度は一定水準を維持してきたのだ。
このデータは、固定化仮説にも流動化仮説にも否定的といえる。 学校教育と性別分業とは無関係じゃないかという印象を抱かせる分析結果である。
とはいえ、そのように性急に考えて先人の理論的な研究成果を葬り去ってしまうのは、賢明なことではない。 性別分業を変動させる要因は学校教育だけではない (5) からだ。 表2にあらわれたのは諸々の変動因の効果の合計なのだが、 この論文の目的からすれば、そのような変動要因の集計物から、 学校教育に起因する部分を切り出さなければならない。 具体的にいうなら、人々の行動の学歴別によるちがいを分析してみないことには、本当のところはわからないのである。
(5) たとえば女性の就業を支援する政策がとられてきたことが、 性別分業を流動化させる方向にはたらいた可能性は高い。 これとは逆に、従来育児を支援する役割を果たしてきた親族ネットワークが崩壊してきたことが、 性別分業を固定化する方向にはたらいている可能性も指摘されている [廣嶋: 1978] [日本労働研究機構: 1995]。
分析の目的変数となる「フルタイム継続率」を、つぎのように定義する [田中重人: 1996]。 まず、結婚前の初職が「常時雇用されている一般従業者」であった者だけを対象とする。 また、結婚・出産経験のない者は除く。 さらに、いちばん末の子供が生まれた時点で農業・家族従業・自営業に移動していた者を除く。 こうして残った有効な標本のうち、 末の子供が生まれた時点で「常時雇用されている一般従業者」であったものを、 フルタイム継続者とみなすことにしよう (6)。
具体的には、つぎのようになる。 表3のように7つの職業カテゴリーを設定し、結婚前の初職と末子出産年職業との移動表を書く。 カテゴリー i からカテゴリー j への移動者数を Nij のようにあらわすことにすると、 フルタイム継続率 y はつぎの式であらわされる。
y = N11/(N11+N12+N13+N14) (1)表3の数値をあてはめると、フルタイム継続率は y = 124 /(124+20+26+451)= 0.200 となる。 結婚前にフルタイム職に就いていた女性のうち、 育児期においてフルタイムの職業に残っている者は2割しかいないのである (7)。
(6) 表3にみるように、かなりの人数が欠損値となり、分析から除かれてしまうことになる。 とはいうものの、時代がすすむにつれて家内企業は激減しているし、 未婚期にフルタイム職につく率は逆に高まってきている。 また調査時点で未婚・無子の者も、多くはやがて結婚・出産を経験するだろう。 この分析が対象としているのは、現代日本における特異な集団ではなく、 むしろ多数派を形成している女性群なのである。(7) おなじ指標のコーホート間比較 [田中重人: 1996] では、 この2割というフルタイム継続率の水準は、コーホートを通じて一定であったことがわかっている。
クロス表の中をこまかくみると、大卒のフルタイム継続率だけが高いことがわかる。 大卒以外の女性に限って見るなら学歴差はほとんどない。 大学以外の学校に関しては教育の影響は観察できないのである。 新制の標準年限でいえば中学校卒業から短大卒業までは5年分の教育年数のひらきがあるのに、 これは女性のフルタイム継続率にはあらわれていない。
この結果は、固定化仮説, 流動化仮説のどちらをもってしても、うまく説明することができない。 どちらの仮説も、 学校教育の進行につれてフルタイム継続率がすこしずつ変動していくような単調な関係を主張しているからだ。 表4左側にあらわれた数値の分布を、学校教育の効果をあらわすものとして解釈するには、 大学だけがほかの学校とはちがう性質を持っていると考えるほかない。 たとえば、大学のカリキュラムはそれ以前の学校とはまったくちがっていて、 性別分業を流動化させる効果を著しく強く持っている、というふうにである。 すくなくとも、学校教育というものが一般に性別分業の流動化(あるいは固定化) の作用を持っているという仮説は、表4左側の数値の分布とは両立しがたい。
大卒女性のフルタイム継続率の高さは、すでに田中佑子+西村由美子 [1986: 210] が指摘している。 しかし彼らは、これは学校教育の(社会意識論的・人的資本論的な)効果によるものではないと主張する。 大卒女性のフルタイム継続率が高いのは、 育児期に働きつづけやすいような特殊な職業についている人が多いためにすぎないというのである。
そうした職業の代表として、彼らは教員をあげている。 そこで、教員を取り除いた分析をおこなってみた。 以下では、 初職が「小学校教員」「中学校教員」「高等学校教員」のどれかにあたるものを「教員」と称することにする。
教員を取り除いてクロス表をつくりなおすと、学歴による差はみられなくなる(表4右側)。 これは田中+西村 [1986] の意見を支持する結果といえる。 すなわち、表4左側にみられたような大卒女性とそれ以外の学歴との差は、学校教育の問題としてよりは、 むしろ教員とそれ以外の職業との職業条件のちがいの問題として論じられるべきものなのである。 女性の職業経歴をとらえる際に、教員という職業が抱えている特殊な性質 [田中義章: 1971] に注目する必要性が指摘されてきたが、 この分析はこの主張を裏付けている。 教職は、確かに、女性のフルタイム継続就業を促進する特別な要因をなにか持っていることが示唆される。 そして、この要因が教職に独占されていて、ほかの職業にひろがっていかないという問題を指摘できよう(8)。
(8) 女性のライフスタイルを対象とする研究の多くは、専門職の女性に焦点をあててきた。 だがそれらの研究が取り出した「専門職女性」の特殊な性格とは、 実は教職という特殊な一部の職種にだけあてはまるものであった可能性が高い。
天野 [1979: 125] は、教員数というのは人口学的・政策的要因で決まるものであって、 大卒者数とは無関係だ、と論じている。 表5は、この天野の見解を支持するものといえる。 高学歴女性が増えたからといって、教員が増えるわけではないのである。
このことは、社会変動論的な視点から見た場合、重大な含意を持つ。 横断面での分析では確かに、大卒学歴と教員資格とのむすびつきを反映して、 学歴と性別分業との関連があるかのように見えるかもしれない。 しかしこの関連を縦断的に拡大して解釈することには慎重でなければならない。 上記のように、高学歴化と教員数とが無関係であることがわかっている以上、 高学歴化にともなって性別分業の流動化が引き起こされるとの解釈を表4から引き出すことはできない。 高学歴化につれて、学歴と教員就職との関連はどんどん薄くなっていくからだ。 むしろ、高学歴化と性別分業の変動とは無関係だと解釈するほうが、データをよく説明していよう。
まず、流動化仮説のうち、人的投資に注目するタイプのものでは、 本人職業はプラスの効果をもつはずだ [Goldin: 1995: 84] と予測されている。 このタイプの理論では、女性の高学歴化は、 地位の高い職業への女性の進出を通じてフルタイム継続就業に結びつくとされているからだ。 この予測があたっているとすれば、高い職業的地位は、学歴の如何にかかわらず、 女性のフルタイム継続率を高める効果を持っているはずだ。
もうひとつ重要なのは、結婚相手の職業的地位の効果である。 高い地位の夫を持った場合には生活のために働きつづける必要が小さいため、 フルタイム継続率は低くなると予測されている [脇坂: 1990]。
このような変数を統制した分析の先例として、 乳児を持つ女性のフルタイム就業率の規定要因を探った小島 [1995: 77f.] 論文がある。 この分析は、本人と夫の職業のほか、親の職業や居住形態などを統制したうえで、 学歴の微弱な効果(学歴が高いほどフルタイム継続率が高い)を検出している。 また、(予測に反して)本人の結婚前の職業的地位の高低はフルタイム継続率に対する効果を持っていないこと、 夫の職業的地位はフルタイム就業率を引き下げる方向にはたらくという知見も同時に得られている。
以下の分析では、本人の初職と夫の結婚時職業をそれぞれ職業威信スコア [富永編: 1979] に変換したものを使う(表6)。 なお、前章で見たように、横断面分析では教員層が分析結果に影響をあたえるため、 教員層を取り除いて分析することにする(9)。
(9) 本稿の関心は、学歴水準の変動による性別分業の時系列的な変動にある。 行為の単なる学歴差を知りたいわけではないのである。
ここでとり出した学校教育の直接効果は、いったいどのくらいの大きさだと考えればいいだろうか。 ほかの変数が一定で学校教育の効果だけがはたらくとし、さらにミクロ・マクロ問題を度外視して、 直接効果の総和がそのまま全体社会の時系列変動にあらわれるものと仮定して試算してみよう。
回帰係数(非標準化解)を b とする。 説明変数の変動幅を x とし、それによって目的変数が Y0 から Y に増えるものとすると、こうなる。
log Y/(1-Y) = log Y0/(1-Y0) + bx . すなわち Y = (Y0 exp[bx])/(1 - Y0 + Y0 exp[bx]) . (2)教育年数にかかる回帰係数は、表7より b=0.182 である。 目的変数の変動の基準点には、「教員」以外の職業のフルタイム継続率 Y0=0.189 をあてる。 説明変数の変動には、1955--95の40年間の平均教育年数の増分 x=3.5 を代入する。
Y = (0.189 exp[0.182×3.5])/(1 - 0.189 + 0.189 exp[0.182×3.5]) = 0.306 . (3)フルタイム継続率の増分は Y-Y0 = 0.306-0.189 = 0.117 となる。 つまり40年間で約12ポイント上がる計算である。
(10) SAS 6.08 版の LOGISTIC プロシジャによる。
流動化仮説のうち、人的投資を経由しての効果を主張する型の議論についても、分析結果との不整合を指摘できる。 というのは、本人職業の効果が確認できなかったからである。 先に述べたように、この型の理論では、学校教育の如何にかかわらず、 本人の職業的地位はフルタイム継続率を高めるはずである。 だが表7で見たように、そのような本人職業の直接効果は確認できなかった。 この理論では、分析結果を整合的に説明することがむつかしい。
したがって残るのは、社会意識論に基づく流動化仮説だけだ。 学校教育は性別分業を流動化させる効果を持っているが、 ただしそれは社会的態度の変容を通じてのものであり、職業報酬の増加と結びついてのものではない、 と考えるのが、データに適った解釈といえる。
式(3)の試算結果からわかるように、学校教育から女性のフルタイム継続就業への直接効果は、 それほど大きいものではない。 1955--95年の40年間のすさまじい勢いの高学歴化の効果を総計したとしても、 女性全体のフルタイム継続率を12ポイント引き上げる程度にしかならないのである。 そしてまた、表4で見たように、フルタイム継続率そのものには学歴によるちがいはみられないのである。 表7で確認できる学校教育の効果は、統計的な操作を通じて掘り出した潜在的な関連にすぎない。 それは夫職を通じてのマイナスの効果に打ち消され、顕在的な行動の変化には結びついていない。 ここで取り出した学校教育の流動化効果は、 私たちの目に見えるかたちであらわれるようなものにはなっていないのだ。
そう考えてみれば、表2で見たように、 学歴水準の上昇にもかかわらず女性フルタイム率が増えてこなかったのは、意外なことではない。 現実の社会においてさまざまな攪乱要因がはたらいている (11) ことを考えれば、 教育の微弱な効果がそれらの諸要因を押しのけて社会全体の性別分業の変動を引き起こす可能性は小さい。
(11) 高度経済成長以降、女性の就業行動を取り巻く経済的環境は大きく変動している [大沢: 1993] 注(5)で見たような育児支援条件の変動もある。 小島 [1995] によるレヴューも参照。
だがこうした論調に対しては、近年になってさまざまな批判が寄せられている。 学校教育と関連しているのは、性別役割意識のごく一部の側面にすぎない [大和: 1995]。 性別役割意識自体がそもそもきわめて変容しやすいものである [長津: 1982]。 性別役割意識は女性の就業行動にはほとんど影響を与えない [脇坂: 1990]。 さらに、学歴と性別役割意識との相関は、 もともと性別分業に批判的な人々が高い進学意欲をもつ傾向にあるためなのであって、 学校教育が彼らの意識を変化させているわけではない [木村邦博: 1996: 130]。 ――などなど、要するに、意識変数の値に学歴差があるからといって、 そこから高学歴化による社会変動の方向をいきなり予測するのは安直にすぎる、というのである。
本稿の分析結果は、これらの指摘によく符合する。 女性のフルタイム継続就業という切り口からみるかぎり、 学歴による顕在的なちがいは(教員という特殊層を除けば)みられない(表4)。 本人職業や夫職業を統制した分析でも、学歴の直接効果として取り出せるものは、 微小な値でしかない(表7)。 官庁統計によるマクロな水準の時系列変化のデータで見ても、 高学歴化が性別分業を流動化させてきた雰囲気は全然ない(表1, 表2)。
ただし、弱いものであるとはいえ、学校教育が性別分業流動化機能を潜在的に持っていることを確認できたのは、 本稿の重要な知見だ。 学校は、性別分業に対して決して中立的な存在ではない。 性別分業を流動化させる方向にはたらく、なんらかのメカニズムを内蔵しているのである。
このメカニズムがどのようなものであるのか、またそのはたらきの強さはどんな条件で決まるのか、 といった問いは、本稿の守備範囲をこえる。 このさらなる課題の探求のためには、各個の学校の教育内容の質的なちがいや、 学校生活の中で生徒の意識が変わっていく過程について知る必要があろう。 本稿は、そうした質的・個別的な分析に、共通の基盤をあたえるものと位置づけられる。
(C) 1996 田中重人
この論文は、第47回関西社会学会大会での報告に加筆修正したものです。 その後改稿のうえ『社会学評論』48巻 (1997) に掲載、 さらに『1995年SSM調査シリーズ』に収録されています。 最新の情報はこちらをご覧ください。なお、論文および図表の全部または一部を著者の許可なく転載・配布することを禁じます。