http://tsigeto.info/2020/occ/o200629.html
田中重人 (東北大学文学部准教授)
2020-06-29
ポイントはつぎのふたつ:
このふたつについて説明すること
人々の欲求の対象である希少な財のことを「社会的資源」 (social resources) といいます。ここで「希少」(scarce) とは、資源が全員に十分に行き渡るほどには存在しない、という意味です。
社会の中には、このような社会的資源をたくさん保有している (=欲求を満たしやすい) 立場にいる人と、そうでない人がいます。このような、社会的資源の保有状況による人々の序列または区分のことを「社会階層」または「階層」といいます。このことばの意味にはあいまいなところがあり、区分された人々のグループのそれぞれ (stratum) をさすことがある一方で、序列化・区分された状態の全体 (stratification) をさすこともあります。特に後者の意味を強調したい場合には、「階層構造」または「成層」ということもあります。
序列の基準となる「社会的資源」には、いろんなものがありえます。ただし、実際の階層研究においては、職業的地位に付随して分配される社会的資源 (賃金や威信など) が重視されてきました。特に研究上の中心になってきたのは、学校教育と職業の領域における競争を支える制度と、その結果として出現する不平等です。また、家族や政府なども、社会的資源の分配をおこなう制度の一部として、階層研究の対象になることがあります。
階層研究における重要な議論のひとつ「階級論」です。これは、経済の仕組みという観点から社会的資源の分配状況を説明しようとするもので、「生産手段」を持っているかどうかが重要な基準になっていると考えます。
たとえば工場、機械設備、土地などが代表的な生産手段です。そうしたものを所有して企業を起こす「資本家」と、そこで雇われる「労働者」の間には、入手できる社会的資源 (たとえばお金、情報、権力、社会的評価など) に大きなちがいがある、というのが基本的な発想です。
近代化の前には、小規模な生産手段 (農地、家畜、器具など) を使って小規模な事業を家族で経営して生活を成り立たせるのがふつうでした。近代化が進むにつれて、工場を建てて機械設備をつくり、大勢の労働者を雇って生産をおこなう、大規模な企業が増えてきます。そうした企業の経営者が「資本家」です。従来のような小規模な家族経営で暮らす人々を「中間階級」と呼ぶのですが、そうした経営体は大規模な工場にとってかわられていきます。中間階級だった人々の多くは、自家の事業をあきらめ、新しくできた企業に雇われて働く「労働者」となります。労働者は生産手段を持たず、自分で事業をおこなうわけでもないので、資本家 (の代理である工場長など) の指示に従って働き、それに応じて支払われる賃金に依存して生活することになります。このようにして、近代社会においては、社会的資源の保有状況の大きくちがう「資本家階級」「中間階級」「労働者階級」に大きく分かれると考えることができます
ただ、その後、企業が巨大化してくると、企業の中で管理的な地位につく労働者 (課長とか部長とかそれ以上の管理職) が増え、それが無視できない数になってきます。こうした人々は、生産手段を持たずに雇われて賃金で生活しているという意味では「労働者」なのですが、資本家から生産手段の運営を任され、部下に対しては指揮監督をおこなう立場になるので、これは別扱いしたほうが実態にあっている (実際、賃金も高いし権力もある) のではないか、という発想が出てきます。そこで、こうした人々を「新中間階級」と呼んで、それ以外の「労働者」と区別するようになりました。ここで「中間」といっているのは、資本家と労働者の中間、という意味なのですが、従来「中間階級」と呼ばれていた小規模自営業者 (の家族) と紛らわしいので、従来の「中間階級」は「旧中間階級」と呼び分けるようになっていきます。
というわけで、現在の階級論においては、近代社会はつぎの4つの階級に分かれるのが基本的なかたちである、と考えています。
出身階層と地位達成について、つぎの問に答えよ:
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